本日は合気道の稽古はお休みである。雨の中のんびりと読書などで過ごす。
ゴールデンウィークは南紀と飛騨を訪ね、渓流に入って昨年始めたフライフィッシングに挑戦した。結果は惨敗。
南紀では外道のカワムツばかり釣れ、飛騨ではアタリすらなかった。南紀の釣りでは標高が1000メートル以下の川だったので、川の上流部までカワムツがアマゴと混棲しているらしく、フライに飛びついてくるのは無邪気なカワムツだけだった。天気が悪かったこともあってか水性昆虫も飛ばず、アマゴが虫を食うライズもない。
外道がいない川を求めて飛騨まで行ったが、こんどは水生昆虫は飛んでいてライズはあるものの、フライは見事に無視されてしまった。
フライフィッシングというのはほんとにほんとにめんどくさい。長いフライラインを振り回すのですぐに薮や木の枝に絡む。ルアー釣りとちがってリールはたんなる糸巻きなので、魚がかかったり(かからなかったが)場所を移動したりするときにはラインを直接手でたぐりよせる。すべての操作がモタつく。
魚は釣れぬわトラブルばかりに見舞われるわフライは失うわでぐったり疲れるところだったが、収穫は渓流釣りにイヌのクロをつれていけるということが分かったことだ。岸で待っていろと言うと、静かに待っている。人間が両手を使ってロッククライミングのようにしないと遡れない岩場でも、なんとか自分で工夫して山側を高巻きしたり泳いだりして付いてくる(一度岩から転落して横腹をしたたか打ち付けていたが)。自分の置かれた状況を把握する能力が非常に高いのである。
投宿先にもどり、ふだんほとんど見ないテレビを見ているとNHKスペシャルで「Judoに学べ」という番組をやっていた。北京オリンピックの男子柔道100キロ超級の代表に選ばれた石井慧選手の柔道についてである。
井上康生選手はあくまで「一本」をとる柔道を貫き、代表の座を得られずに敗退。引退した。ヨーロッパ式の「効果1つ、反則1つの差でもいいから優勢勝ちを収める」スタイルの勝つ柔道を体現して代表の座を占めたのが石井選手である。
番組でヨーロッパ式の柔道の破天荒な技を見てほんとうに驚いた。どんなに不細工な格好でもいいから、とにかく相手を転がし、レスリングまがいの力技で細かいポイントを取りにくる。そして日本人選手に勝つため、いかに組まないかに重点を置く。
おもしろくないことになったものだ。
私は高校時代に柔道の授業があり、細身の体形がわざわいしてかどうもうまく勝てず、悔しい思いをした。しかし本来柔道は「柔よく剛を制す」であるから、私のような者でも修業を重ねれば必ず剛の者に勝てるようになる。そう考え、大学では体育会系柔道部に入って猛稽古に励んだのである。
折よく、いや折悪しくかもしれないが、当時の大阪外大には段位が三段でヒグマのようなフジタ先輩や、こちらも三段ですさまじい切れ味の内股を殺し技にしていたミヤタさん、体重120キロで丸太のような足で大外刈りをかます初段のイシイさん、さらには段位取得がめんどうだからというんでまだ初段だがどうみても三段の鉄筋ビルみたいな体をしたキウチさん、そしてほかにも背負い投げを得意とするゴムまりみたいなタカハシ先輩や初段の同輩が複数いた。こういう面々が、段位五段でセミの生食いを隠し技とするオブチ先生に教えを乞いながら日々稽古の励んでいたのである。
こうして、女子学生が7─8割を占めるため万年部員不足にあえぐ外大体育会系の男子部としては奇跡的な強さを誇った。
近畿地区の大学対抗戦になると近大や天理大などの超強豪と戦うはめになることがあるのだが、5人による団体戦でたった1人差で負けたことがあったと記憶する。学生がほとんど女の子ばかりの外大が、である。体育教師を目指す学生が多く国立大学の中では例年強豪に名を連ねる大阪教育大学や学生数で圧倒的にまさる阪大などを相手にとって簡単に勝ってしまうほどの強さだったのである。
そんな時代の大阪外大柔道部に入ってしまった体重52キロ身長176センチの吹けば飛ぶような体躯のバドミントンプレーヤーだった私は、連日の稽古+筋力トレーニングと食事療法による筋肉量の増加に励み、イシイ先輩の100キロ超級の押さえ込みに見舞われて女まさりの乳房の下でもだえつつ日々を過ごした。学食で食事の後は牛乳をかならず1リットル飲み(飲まされ)、食いすぎで体を文字通り1ミリも動かすことができなくなって学食のイスでのけぞったまま授業を欠席したこともあった。
しかし、元来のヤセ型でなかなか増えていかない体重がようやく59キロになった冬、私は柔道部を去った。「柔よく剛を制す」のことわりがここで見つかる見込みがまったくなかったからである。
バドミントンではインターハイ経験者だった私は、バドミントン部に三顧の礼を持って迎えられ、こちらではやっぱり重宝されてそれなりの活躍したのであった。が、しかし柔道でけっきょく不成功だったという経験はしこりを残したのである。
その後も弁証法的武道理論などを個人的に勉強していていると辛辣な批判者の中には「近代柔道はゴリラのダンスである」という断言もあったりするのを知り、激しく共感することになった。武道の中では合気道がもっとも武道の正統に近いというのをその時に学ぶことになる。
かくして、十余年の歳月をかけてたどりついたのが2月に入門した多田塾甲南合気会であったというわけだ。
柔道はこれからどうなっていくのであろうか。たいしておもしろそうな未来は開けてこないような気がする。体重制を廃し、ポイント制を廃して一本勝ちのみを争うなどの根本的な変化がないと、たんなるわずかな優劣をポイント化するだけのスポーツ化がさらに進むだけで、観戦していてもおもしろくもなんともない柔道になっていくだろう。
北京での石井選手の戦いは、勝っても負けてもそれほどの感興を人々の胸に呼び起こさないのではなかろうか。
今年初の甲子園行き。今年の阪神タイガースは異様な強さを誇っている。勝率は7割を超え、全カード負け越しなし。阪神タイガースと「合気」して生きている関西人は軒並み元気がいい。
ヤクルトとの1戦である。ゴールデンウィークまっただ中、快晴の下のデーゲーム、場所は猛虎ファンの聖地ライトスタンドと、最高の条件の中で観戦した。
ところがこの日の阪神は貧打やミスでいいところまったくなし。1回表にいきなりバッテリーのエラー連続で後逸で失点し、3回に追加点を許した。後半に強い打線も完全に沈黙し、金本も新井もまったく火が点くことなく3時間と持たずにゲームオーバー。
ここのところの疲れがどっと出る。歩いても電車に乗っても眠くて仕方がない。早う帰って寝よう……とおもいきや。
帰路、西明石駅の南にある藤本敦士内野手のご両親が経営する焼き鳥屋「万」で夕食をとった。この万が、厨房のかたがたの料理の腕の確かさと明石という土地柄もあってアブラメの新子の唐揚げやタコ刺し、明石焼など魚介料理が豊富で、メニューの端から端まですべて美味だったので疲れが雲散霧消する。作り置きではなく注文が来てはじめて準備を始める。堅実な美味の効力は偉大なり。
藤本選手のこれまでの苦労や人となりなどについての話をお父上から直接ひとしきり聞かせていただいた上に「藤本うちわ」までちょうだいして、充実した気分で2300時帰宅。ありがとうございました。
すると深夜にもかかわらず鍼灸師ナガオカが来宅。もともと調子がよくなく、合気道を始めて以来さらに悪化し、野球の試合でテキメンに痛みがではじめていた膝などを治療してもらう。若い頃の無茶なランニングがたたったと思い込んでいた膝痛がじつは簡単に治る性質のものだということが分かり、大きく安堵。
ナガオカはこんど池上六朗先生の三軸修正法講座に行くそうなので、合気道と鍼灸、体のゆがみ、東洋医における「どうです、楽になったでしょう」という言葉のプラシーボ効果、雑貨店経営における経営者たるものの正中線──などについて談論風発。
ここに至って疲れと眠気は完全に消えて未明にもかかわらずブログを書きつづり、それでもさすがにこれから寝ます。
最近加古川について聞いた噂3つ。
まず1つ目は、過去に県北の豊岡市で務めていて、加古川に赴任した教師の話。豊岡の学校ではこの教師がIT担当をおおせつかっていた──というより、本人曰く「トシが若いから自動的にそうなってた」──のだが、加古川に来ると学校で教師の机のパソコンがインターネットに接続していないのだという。
加古川の学校では「内部データが外に漏れないように」とのお達しにより、教員の直接ネット接続が禁止され、教師は調べ物をするときには調べ物専用のパソコンまで移動せざるをえない。
ほんとうだろうか。
個人情報の流出に気を使うのはもちろんのことだが、そんなことはどこの企業でもやっていることだ。企業にとって死活問題になる顧客情報や企業秘密もあるが、個人のパソコンに入っていることが多いはずだ。でもちゃんと守る工夫をしている。
真剣に仕事をしている教師なら、調べ物の頻度は高くなって当たり前だ。また学校内にとどまらずに社会と接点を持とうとする教師には、インターネットは強力な武器になる。というより、すでに現代のバックボーンでありライフラインになりつつある。
この内部情報を信じる限り、少なくとも加古川市の職員室はネットの恩恵をまったく享受していないんじゃないかという疑念がわく。
2つ目。加古川で配布されている折り込み形式のタウン誌がある。全国でその地方の情報を掲載して配布しているのでご存知の方も多いだろう。というか、めんどうなので書いてしまうと『リビング播磨』であるが、ある女性記者が曰く。
「飲食店を取材しようとしたら、4軒立て続けに断られました」
1軒2軒ならまだしも、4軒立て続けに断られつづけてはこの記者もちょっと参ったようすだった。広告を出せと言っているのではなく、あくまで読者に読んでもらうための記事として取材させてくれ、と言っているのである。
それぞれ「あまりに客が殺到されると困る」とか「静かに商売をやりたい」とか「ブームみたいにやってくる一見さんより、常連さんを大事にしたい」というそれぞれの心意気があるだろうから批判はしない。それにしても4軒連続となると一定の加古川の徴候を示しているのではないかと思ったりする。
この記者は「どうしてなんでしょうねえ」と意気消沈していた。
最後の3つ目。最近加古川市の警察官と話をする機会があった。警察官は県の職員であるから、県内をあちこち異動するのである。
最近お巡りさんはかつての黒バイクより、白いカブ型のバイクに乗っていることが多い。かつて私は新聞配達をしていたので分かるのだが、乗り手がしょっちゅう変わる業務用のバイクはすぐに調子が悪くなる(自分のものじゃないから大事にしないし)。故障が多いので新聞配達所はバイク屋と提携しているのが普通だ。
新聞配達なら提携先が決まっていてもいいのだが、警察となると困るのだ。緊急事態に即応して現場に急行するのが重要な仕事の一部なのに、各署指定のバイク屋以外では修理ができないのだという。出先で調子が悪くなっても最寄りのバイク屋で修理することができないのだ。仕方なく指定外のバイク屋で修理してしまうと、あえなく自弁になってしまう。
一事が万事で、燃料すら提携先のスタンドが決まっていて、そこでしか給油ができない。夜中に出動して燃料がなくなってしまうとこれは大変である。加古川署に出かける際に近辺にある指定のスタンドで入れるらしいのだが、このお巡りさんはたいへんに困っている様子だった。「年末なんかスタンドが閉まっちゃって大変ですよ」と言うのである。お巡りさんの使っているのはおそらく90ccのカブなので、燃料タンクが小さい。燃費はけっこういいのだがたいへんだろう。
現場に急行するときに高速道路を使うときも同じだという。高速道路券みたいなものがあるらしいのだが、それを持っていないと「現場に行かないわけもいかないので、仕方なく自腹切腹」と、そういうことがあるらしい。
ほ、本当なのだろうか。
前出の高校教師は部活動の部員のためにユニフォームを作ったとき、これまでの業者ではなくより安い業者に変えてみたそうだ。すると学校から大目玉を食ったという。部員と家族のことを考えれば、安いほうがいいに決まっている、と考えたのだが、加古川ではそういう単純な合理性が通じないことがある。この街はけっこうオカタイ空気がいまだに相当残っているようだ。
自宅に届いたばかりの『広報かこがわ』5月によると、加古川市の人口は26万7335人。けっこうなサイズの街である(4月1日現在)。しかもそのほとんどはもともと加古川に住んでいた人ではなく、外からやってきた人たちである。一説には8割とも言う。
そういう人たちにとって住みやすいんだろうか、加古川は。