最近会う人から「Facebookの岡本さんの投稿めっちゃ見てます」と言われることが増えた。いいね!ボタンとか押してなくても見てる人っているんだよね、とは分かっていたものの、ここまで多くなってくるとおどろく。
「ひとに嫌われてもかまわない」「ひとと同じことを言うなら存在意味はない」「食い物と映画と音楽、子どもの写真は投稿しない」というアマノジャクポジションなので、いいね!が多かろうと少なかろうと気にしない。というより、フツーの人が読んだらグサッとくるようなこともあえて書くようにしている。それでもこうして少数の人にひびいているというのはとても嬉しいことだ。
先月からは「いつもFacebook読んでます。尊敬します。相談に乗ってください」に類する話を若者から立て続けに3つ受けた。いずれも25歳くらいのバイタリティあふれる若者である。
この世代の若者たちが強烈な不安を抱いているというのは時代の風景なのだと思う。物事を考える能力、考えようとする態度があり、なによりバイタリティがある。住んでいるのは東京などの大都会じゃない。つまりエリートコースからは外れてしまったけれど、レールの上に乗ったバカが抱けない種類の悩みを抱いている。
おれもちょうど25歳のころ人生絶不調だった。
世界旅行をするために18歳で外国語大学に入って語学を身につけた。3年生が終わると休学して1年かけてアルバイトをしながら日本の川を旅した。乗ったこともなかった長距離カヤック旅のノウハウを独習したあと、翌年は貯めた金でいきなりアラスカと南米を1500キロずつ下った。死にかけたこともあった。
帰ってきても人生なにも起きなかった。大学はいちおう卒業した。24歳である。周囲は就職してすでに金を稼ぎはじめていた。ジャーナリストになりたいと思っていたが、どうも大手マスコミは自分の居場所ではないような気がしていた。新聞社を3社受けたがみな落ちた。世の中にうとすぎてまるきり知らなかったけど就職氷河期どまんなかだったらしい。
朝日新聞社に合格した知人は年に1000万円ずつ稼いでいるそうだが、おれは親のすねかじりに戻り、京都大学の聴講生をやって学問への道をさぐったりしていた。
そういう時期だった。
いま25歳でめだった学歴や職歴もなく田舎でいきている若者はどういう心境だろうか。
1人は大企業の子会社につとめていて、シフト制の単純労働が毎日つづく。未来を感じられない状態だった。若者は敏感だ。時代が昭和から平成をへて、ようやくおくればせながら次の時代に変わろうとしているのをひしひしと感じているのだろう。「自分は外国人でもできるような仕事を毎日やっているんです」。単純労働に従事している自分のまわりに外国人労働者が増えてきているのだ。
世のオッサンどもは、その昭和製造業的なアタマを変えることをこばみ、なんと平成の30年間を昭和メンタリティのまま延命してしまった。非効率な製造環境、サービス業、教育、政治、行政、福祉、雇用環境──。すべて昭和をひきずったあげく、ついに激突的なハードランディングに突入しようとしている。何の準備もなしに外国人労働者の受け入れがはじまり、教育制度の改革もなしにいきなり経団連が採用制度の方針を変える。
このハードランディングでいちばん犠牲になるのが25歳付近の世代かもしれない。
たとえばわたしの3人の子どものような世代(9歳、7歳、5歳)は、20歳になるころには世の中はすでに大きく変わり、教育も日本のありようもはっきりとした変化が見えているだろう。(良いほうに転ぶか悪いほうに転ぶかはさておき)。
経団連の就職制度改革については、ニューズピックスの報道番組で落合陽一が「もうレールに乗ってしまっている中高生がかわいそう」と言っていたが、彼らはまだ若いので変わりようがある。
しかし25歳付近の若者はもう世の中に出てしまっていて、これからいきなり変わる世の中にフィットするにも再教育をしにくいのだ。そういう社会人教育のチャンネルをこの国は持ってこなかった。就職で失敗したら再チャレンジの機会はない。
ことに田舎の若者がまずい。オッサンどもが敷いたレールが急に朽ち果てても、たとえば東京で就職していれば次のレールにまだ乗り移りやすい。しかし田舎に住んでいる不器用な若者たちは、そのバイタリティを拾ってくれる人間にすらであえず、若くして負け組に選別されそうになっている。
田舎には新しい時代を作っていくノウハウやリソースを持った人間がいなさすぎて、誰に相談していいのかもわからないのだろう。東京ですらようやく変わりはじめた段階だ。日本の田舎はますます手遅れになり、それによっていちばんワリを食うのが今の25歳あたりなのではないか。
おれは加古川みたいな片田舎の人間としては仕事+遊びで世界中あちこちでかけ、畏友が東京にいるおかげで現代最高の知性にもふれることができ(タカダ君いつもありがとう)、かとおもえばダートバイクをぶっ飛ばし、被災地でボランティア活動をやり、好き放題なことを怒気をにじませてFacebookに書き込んでいる。圧倒的に不器用な人生しか歩んでこれていないが、だからこそ「この人なら話をきいてくれるかも」と若い人たちに感じてもらえるのかもしれない。
若者のみなさん。相談があるならいくらでも乗るのでいつでも声をかけてください。話をきいてあげることくらいはいつでもやります。ほんとマジで困ってるだろ。
ちなみにおれは25歳あたりで人生絶不調に陥ったあと、28歳からフィリピンで新聞記者として3年間をすごし、帰国した30歳のとき預貯金はゼロ円。それどころか銀行口座すらなかった。絶不調は2008年に33歳で内田樹先生の合気道の門をたたくまで続いた。
まことにうす暗くやぼったい時代が長く、その点ではそこらへんの奴らには負けないつもりだ。
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[2018/11/13 02:00]
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「ドイツ人は定時になったらスパッと仕事を終えて帰る」という話を昔からよく聞いた。さすがドイツ人は厳格だ──みたいな話のながれである。
しかし、これはドイツ人だからではなかった。中国人も定時になったらさっさと帰る。みんな夕方の散歩とかスポーツとかを楽しみ、ゆっくり食事している。
おれは日本人だけが残業にかんして無頓着で異常であることを、会社でこういうふうに説明している。
「日本人でも親戚に葬式が出たら問答無用で会社を休むでしょう?『仕事なので父親の葬式は出ませんでした』とかありえないよね。それと同じレベルで、毎日毎日おそくまで家族も趣味も子育てもなにもかも無視して残業というのは、世界で日本でだけ通用するあり得ないくらいムチャクチャなことなんです」
ところが、こういうムチャクチャが長年まかりとおってきていると、残業をなくしたい経営者が何をどう言っても、残業しようとする人が出てくる。災害時に電車がとまっても歩いて出勤する人がいるのと同じ構造だ。
残業問題は経営者がブラックな場合はもちろんあって、これは「悪者」がはっきりするので叩きやすいからSNSや週刊誌的に話題になりやすい。
しかし多くのばあいブラックなのは労働者じしんなのだ。これは話題にならない。叩くのが自分というのはシャレにもならないからだ。
「でも仕事がねえ」と言い合いながら、その先に何もない道をみんなでいっしょに肩を組んで歩いていく。誰にも指示されたわけではないのに、喜んで歩いていく。
被災地の義援活動をやっていると、信じられないようなことが実現することがある。
こうした現象が起きやすいのはとくに被災初期のころだ。
被災者もふだん薄くなっているコミュニティや親族の付き合いが困ってる者どうしで一気に復活し、なんでも無料でやりまっせのボランティアや、金なら出しまっせという企業がみんな一丸となるんだから、すんごいことになる。
人・物・カネがそろい、意思はもとより明確という、とんでもないチームがいきなり生成されるわけだ。
その好例が東日本大震災で宮城県歌津半島の「未来道」だ。半島の先端で孤立した集落から内陸部の主要道まで、埼玉県のはすだ支援隊をはじめとするものすごい数のボランティアが用地交渉をし、完全な山林を切り開いて道路を作ってしまった。おれも仲間とここに行っては樹木の伐採なんかを手伝ったわけだ。
これが会社の経営に生きている。
あるプロジェクトが「とんでもなくうまくいくときの条件」は「こんな雰囲気になったときだ」というのが身体でわかるからだ。この経験は経済がずっと低調な日本でふつうに働いているとほとんどできない。
バブル世代もこれは経験していない。あの時期は何をやってもアホみたいにもうかっていたわけだから、「圧倒的逆境に一丸となって立ち向かう」というハリウッド映画ばりの状況ではない。
どっちかというと圧倒的に孤独が好きだったおれが、かなり意識的にアジテーターっぽくなってしまったのも東日本大震災の「おかげ」というか「せい」というか。とにかく人生が変わったのはまちがいがないところだ。
爾来なにをやるにしても、あの未来道を目指しているのに近いところがある。
今回はすだ支援隊の小森さん、中山さんと広島県三原市の被災地でいっしょに作業をすることができた。じつはすれちがいばかりで東北でもその後の熊本でも会っていないのである。
しかしたぶん二人の目はおれとおなじものを確信に満ちて見ているのだろう。だからお互い引け目もてらいもなく不謹慎とはまったくかけはなれたレベルで「ボランティアはおもしろい」と自信を持って言えるのである。
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