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タンザニア・ショック 

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[2017/08/08 05:04] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

誕生日メッセージありがとうございます 

 冗談ではなく、2─3年前から「おれって40何歳だっけ?」とすでによくわからないときがありまして衝撃をうけています。若いころ、自分の歳がわからなくなっている年寄りを笑っていた自分が心底恥ずかしい。

 昨日たぶん42歳になりまして、ことしもたくさんの方からほしくもない誕生日のお祝いFacebookメッセージをいただきました。

 「きょうは岡本篤さんの誕生日です」とかいうおすすめに乗せられて書くほうはいいんですけど、もらうほうは圧倒的一方的かつ一斉同時に圧倒的大量の低品質メッセージを受け取ってしまうわけで、もうこれはFacebookのおおいなるおせっかい、みんなの善意を迷惑メールに自動変換するシステムでしかありません。

 Facebookは誰かの誕生日にメッセージを送ろうとする人にたいしては

「岡本篤さんはきょう大量のお祝いメッセージを受信する可能性があります。あなたのメッセージはそれほどの価値がありますか?」

とちゃんとダイアログを表示してほしい。みんな卒然と悟り、私への新しい仕事のオッファーとか気分がよくなるおべんちゃらとか、こんどデートしませんかとか、じつは前から嫌いでしたとか、意味のある書き込みをつけくわえるようになるはずだ。

 古い友達はだいたいわたしの性格を知っているのでメッセージをよこしてこないのですが、2016年に新しくしりあった人などはわたしのきわどいズボラさを知らないので律儀にメッセージを送ってきてしまう。政治関係の人などはよく知りもしないのに「おめでとうございます」などと選挙活動まがいのメールを送ってくる。さすがに四十づらさげて「あんただれ」とは返事はできないのでまああたりさわりのない御礼メッセージを返すわけですね。

 誰しも齢40もすぎると残りの人生は長くないなとおもう。誕生日は残余の人生にむけて気合いを入れる格好の機会なわけですが、その記念日が来たとたんに大量のあまり意味のない返信メッセージを書くためにまた大事な人生の時間を浪費してしまう。

 これはなかなか逆説的に「ああ、こうやってわたしは死んでいくんだな」と人生の悲哀を堪能できるよくできたシステムなのかもしれません。やるなザッカーバーグ。Facebookのおかげでなるほど人の世は迷惑のかけあいでなりたっているということを今年も知ることができました。

 というわけで、みなさんまた1年よろしくお願い申し上げますてへぺろ。


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[2017/01/12 00:52] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

飲むならトランプということである 

 友人たちがFacebookのタイムラインであまりに感情的にトランプ当選を嘆くので驚いた。この国はさすがアメリカの属国だけあると思う。

 ああまたイヤミを言うてしまった。

 俺はぜんぜん驚かなかった。2000年の選挙を思い出しても、今回ほどの僅差で推移していればトランプが勝ってもまったくおかしくないし、そもそもアメリカはほとんど差別主義者のイナカモンの国なのだ。

 かつてカヤックツーリングにアラスカに行ったとき、アンカレジのユースホステルでメシを食っていたらいきなり「ブタみたいに食いやがって」と白人から言われたことがある。あまりに唐突だったのでボーゼンとしてしまい言葉も出なかった。

 なにせ日本から到着したばかりの欧米圏。いろんな人が出入りするユースホステルの共同食堂である。客人として失礼があってはならないと、ラーメンを音を立てずに丁寧に食べようとしていたさなかのできごとだったから余計に驚いた。なるほどこういうのを差別というのだ。

 その後新聞社で仕えることになった上司は元共同通信のニューヨーク支局長だったが「ニューヨークは洗練されてて大好きだがアメリカはドイナカモンばっかりで大嫌いだ」と言っていた。

 アメリカなんてその程度の国だ。カリフォルニアとニューヨークだけを見て幻想を抱く方がおかしい。いまだにテンガロンハットのカウボーイがセルフイメージで、進化論を教えていない地域もあるのだから推して知るべしだ。たとえば群馬県民が全員いまだに国定忠治をヒーローにまつってるようなものだと思えばいい。(※いや群馬って尊敬すべき人や会社が多いですよ)

 一緒に酒を飲むならトランプだ。

 酔っ払って暴言吐き出したらあの爺さんはメチャクチャおもしろいだろう。日本の田舎の土建屋にもいるよなああいうタイプ。下品で「チョン」「ブラク」とか平気で言ってるけど、気前が良くて男気のあるタイプ。ムチャクチャだけど、まあまかせとけば悪くはしない。

 あと、トランプは100%自腹で奢ってくれるだろうが、ヒラリーはそこんとこも心もとない。領収書とかちゃんともらってて、酔いが冷めそうだ。



[2016/11/11 12:38] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

定時退社が招きかねない問題 

 わたしの会社では、この春から定時退社を月に1回始めた。すでに月に3日になっている。

 しかし、幹部会議で話題になるのは「定時退社にしたけど会社の業績が下がったね」なんてことにならないか。心配なのである。

 でも、始めた。今のところスタッフは喜んでくれているようだ。

 そんなわけで、定時退社の導入でどういう問題が発生するかについて、ここのところずいぶんモヤモヤしてきたけれども「俺の問題は誰かがすでに解決している」がネットのならいである。たいへん参考になる先行事例があった。


定時退社を導入するとどうなるか
http://anond.hatelabo.jp/20161022131254


 発生しかねない問題はここに凝縮されていると思う。

 ムリヤリまとめよう。会社が残業を短縮する場合の問題点は段階的に解決すべきであって、一足飛びに残業の禁止で解決できるものではない。

 以下、今の気づきを綴ってみた。

 岡田斗司夫やホリエモンが運営しているゆるいつながりの中でのクリエイティブな事業体は、いわゆる「目覚めた人」を集めていきなり第3段階に突入した例のように思う。



【第1段階】
□定型化した作業はIT化の力を借りてどんどん減らしてしまうこと。
□この段階で総労働時間は減るはずである。
□IT投資が必要である。
□社員への無理じいはしない。労働時間を減らしながらアウトプットを向上させるというスタイルに心構えができていない人がいる。
□効率よく働くことの喜びを伝える教育体制が必要だろう。
□「他人を助けるためなら残業をしてもよい」というルールは必要ではないか。

【第2段階】
□会社はこれまでの「9時5時一カ所勤務」というイメージではなくなる。
□テレワークは普通に。
□社員はクリエイティブに働く「プロ」になっていく。
□社員は何の分野のプロになるのか自分で分かっている必要がある。
□会社は「利用するもの」という意識に変わっていく。
□プロとプロが仕事をしていくというスタイルを確立する。
□足りない部分は外部の力を借りる。チームに部分的に外部のスタッフが混じっていてもよい。
□もちろん各々が独立したプロなので、副業などまったく問題ない。

【第3段階】
□会社が社会に貢献するスタイルを明文化しそれに共鳴する人が集まる。
□会社はプロが集まる「場」だけの機能になる。
□WEB業界のように必要な時に必要な人員が集まって仕事をする。
□イメージとしてはデザイン会社と当社の関係に近い。最近は行き来しての交流も活発になってきた。
□会社は社員の能力を触発するような場として運営されている。
□楽しい交流の場でもある。
□部活のようでもある。
□私塾のようでもある。



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[2016/11/01 22:56] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

日本人が強い場面、弱い場面 

 韓国でカワウソ調査をしながら、今回も近現代史が好きなヤマダさんと戦争の話になる。

 対話をもとに今回は日本人の特徴を強い局面と弱い局面で分析してみた。あくまで思いつきです。



(1)日本人が強い場面
全体の目的がおおむね自明的に決まっており、あとは各部署・各個人が自律的に努力すれば自動的に結果をつながっていく場面。ほとんどリーダーシップや組織的強さというものが必要ない。

→伝統的に日本人が世界最強のパフォーマンスを示す場面である
→高度な倫理観と教育を合わせ持った人員が必要
→現場の工夫が組織に反映されていくことで組織は自律的な成長をしていく
→自律的な成長は、ある時点から部分最適となりついにはガラパゴス化に陥りやすいことに注意
→典型例は高度経済成長



(2)日本人が弱い場面
リーダーが長期的な視野で目標をはっきり打ち立て(自動的にできるものではないことに留意)、各部署・各個人が役割分担をしっかりこなすことで結果を出していく段階。正確な上意下達と、全体の目標を逸脱しない能力が必要となる。

→伝統的に日本人が苦手とする場。つまり混乱期にこの弱みが出やすい
→リーダー待望論が叫ばれるが誰がリーダーなのか分かっていない
→優れたリーダーが必要だが、実は優れた人をリーダーに選び育てる能力がもっとも必要
→リーダーシップはフォロワーシップが不足している場合には機能しない
→言われたこと以上の仕事をしてしまう日本人は、時として言われたことしかしない人間より始末が悪い
→典型例は第二次世界大戦の敗戦



 (1)の好例が高度経済成長期である。「追いつけ、追い越せ」。日本人の目標ははっきりしていた。というより自明であった。世界的に日本人の労働コストは安く、得意な研究熱心さと手先の起用さを駆使して一生懸命働けば、自動的に世界の企業にたいして圧倒的な強みをもった製品を作ることができた。

 (2)の好例は、第二次大戦の敗戦だ。大東亜共栄圏という目標はあったかもしれないが、指揮系統がはっきりしないまま、石油もないのに世界最大の産油国の米国に戦争を挑んでしまった。それでもめちゃくちゃに努力する国民性は悲劇を生んだ。テキサスの油井にたいして松根油で挑み、絨毯爆撃にたいして竹槍で対峙しようとしたのだから。

 日本のガラケーは世界の潮流から取り残されて絶滅してしまったわけだが、竹槍は究極のガラパゴス化といってもいいかもしれない。



 ラグビー日本代表のエディ・ジョーンズ監督が、南アフリカに対するジャイアントキリング(大番狂わせ)を導くことに成功したのは、日本の歴史ではめずらしい例と言えるかもしれない。

 なぜなら(1)の長所と(2)の長所の合わせ技で成功したからだ。

 彼がリーダーシップを発揮してすぐれた目標をはっきりと打ち立てたことと、目標にたいしてめちゃくちゃな努力を脇目をふらず(これがだいじ)勤勉にやりぬいたこと。チェリーブロッサムズの選手たちは余計なことはしなかったはずだ。たぶんエディの指示は肉体的にキツすぎて、短いワールドカップ準備期間によそごとに使う余力はなかったはずだから。

 日本の復活のしかたの一方策として、こうした「世界の定番」的な勝ち方は意識しておく必要があるだろう。

 おそらく勝ち方には他にも方法はある。まだわたしには言語化できていないけれど。




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[2016/11/01 22:35] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

NPOやNGOはあなたの会社の競合です 

 奈良県東吉野村での自主研修を終えて帰ってきた。2012年から付き合いのはじまったメンバーで、中小企業大学校での研修期間がおわったあとも続いている自主勉強会だ。

 講師の林先生の話や、わたしの事業内容の練りなおし、そして会場に使わせてもらったオフィスキャンプ東吉野の 坂本大祐君とのよもやま話を帰路のクルマのなかで総合するとこうなる。

 わたしがやろうとする事業は必ずソーシャルビジネスになる。あたりまえだ。ジャーナリストになって世界の問題を解決するために生きようと決めたけど、どうもジャーナリズムは食えなさそうなので、しかたなく舞台をビジネスに移したのだから。

 そもそも企業とは社会問題の解決のためにある。家電メーカーが賞賛されたのは、ラジオやテレビが「娯楽の提供」や「家族の憩いの場づくり」「報道音声・映像の出力端末」という社会的な意義の大きい装置だったからで、社会の問題を解決してくれる期待感から家電メーカーの株価が上昇したわけだ。

 洗濯機にもクーラーにも電子レンジも、最初はたいへん社会的に意義の大きい装置だった。たとえば洗濯機は主婦を重労働から解放したのだ。そりゃ売れるに決まっている。

 日本の家電メーカーは、そういう社会的意義の強いさまざまな製品を高品質で大量生産し、世界中に売るというすごい企業群だったのだ。

 しかし「もうテレビはいらんなぁ」とみんなが思っているのに、相変わらず4Kテレビとかを作っているので社会的意義が薄れている。そういう売れにくい商品をムリヤリに売る巧妙な仕掛けのことを「マーケティング」と呼んだりしている。

 そういうあまり社会的価値の高くない会社は、もう商品が高く売れない。なのにしがみつくから、みんな残業が長くなる。

 こういうわけで、社会的意義とかCSRなんかうんぬんするまでもなく、企業はもともと社会的な問題の解決のためにある。

 高度経済成長もバブルも経験していない若者たちは、NGOやNPOにあっさり就職したりする。お父さんは「おいセガレ、なんで高い学費を払って大学に入れたのにNPOなんや(涙)」とか思うかもしれないが、若者としては「御社の将来性」にしっかりと素直に反応しているわけで、こういう世代間の感覚の違いはおもしろいもんだだと思う。

 いまや組織維持のためだけに商品やサービスを作る企業がおおくなりすぎてしまった。あたりまえが通じなくなってきてしまったからこそ「社会的意義」とか「CSR」とかいうお題目が必要になってきている。 

 ほんとうは会社紹介のページにCSRのページはいらないはずだ。商品やサービスで素直に勝負すればいいのだ。

 つまりあなたの会社の競合には、NPOやNGOも入っている。どの組織が素敵な未来を提供できるかの勝負だ。



[2016/10/28 23:18] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

日本は先進国か後進国か 

 日本はテクノロジーの国であり、先進国のつもりでいたのに、どうやらとっくに風向きが違っている。

「もはや先進国ではなくなってきた」

という話はよく聞く。たしかにシャープは没落しソニーもまずいことになっている。しかしトヨタは勝っているしキヤノンやニコンのカメラも世界中で売っている。

 いったい、物つくり先進国なのか後進国なのか?

 答え。「日本の物つくり」などという枠組みがおかしいのだ。

 物つくりの本質が変わった。物つくりの本質は「物」つくりではない。同じ日本の企業でも、それをとらえてシステム化できた企業とできなかった企業で、天と地ほどの差が出ているのだ。

《国内の中小企業や、行政や医療などでは、2016年現在、世界で先進的とされる業界が1930-55年頃に行い始めたことを、ようやく始めている。あるいは始めなければいけない、と議論している。つまり、日本国内には、後進国よりも管理技術、つまりマネジメントが遅れたレベルにある業界が非常に多い。実は、日本は全体として見ればまったくもって先進的な国ではないのである。》
(「『シャープ化』していく日本に唯一の解を提示しよう」、酒井崇男)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49537

 わがホームセンター業界はもちろん後進業界だ。たとえばグローバル小売のコストコやIKEAと比較するとオペレーションのレベルは天と地の開きがある。たぶんこれを変えることは難しいだろう。変えようにも小売業のなかでも組織体制やコンセプトが旧態依然すぎて、できない。それはわたし自身がさるホームセンターの搬入作業に覆面参加した経験からも強く実感した。

 ホームセンター業界は、総合スーパーより必ず遅れて新しい手法を導入する。PB商品開発でも遅れて参加し、いまほぼそれがおわりつつある段階だ。しかしセブンイレブンがチャレンジし部分的に成功している高品質PBや宅配サービス、ネットとのオムニチャンネル化にはまだ有効な手すら打てていない。

 先輩である総合スーパー業界がいまやフラフラになっている。ホームセンター業界はまだ比較的堅調といっていいが、次は我が身になる可能性がある。

 店の魅力を創出せず、短期的な利益確保のため取引先にむやみに値段を叩くようなことが、相変わらず平気でおこなわれている。そのやりかたは、長くは続かないだろう。





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[2016/10/20 12:22] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

四万十川の円が閉じた日 

 わたしの川旅はいい場所を見つけたらかなり長逗留する。

 四万十川を下っていたとき、十川という集落のはずれに1週間くらいテントを張りっぱなしで滞在したことがあった。

 初夏の早朝、茶の産地としても有名になったこの村(元・十和村、現・四万十町)には、四万十川の広い谷間を埋めるような盛大な川霧がたつ。この川面にカヌーを浮かべて水上散歩するのが日課になった。

 ある朝、一面ミルクのような川霧の中から「ゴン、ゴン」と川舟を操作する竿の音がしてくるので近づいていったら、ウナギの仕掛けを引き上げている川漁師だった。ウナギの仕掛けの作り方を教わり早速ためしてみることにした。

 ウナギ釣りのエサには川魚のブツ切りを使う。川魚を釣るため、まずは昼間の川に入り、浅瀬で石をひっくり返して石の裏に張り付いている川虫を捕った。

 夕方、延べ竿を出してきて瀬で川虫をエサにカワムツを釣る。10匹も釣ったところで引き上げてブツ切り。前もって作って置いた仕掛けに付ける。1本の幹糸に何本ものエダスがついたハエナワだ。ウナギはハリがかりすると身をよじってすさまじい力で暴れるので、仕掛けは太い糸で作る。ハリは地元でアジバリという一般的なものを使う。なぜアジバリというのか名前の由来は地元の人も知らない。

 地元の魚屋でもらった発泡スチロールを目印のウキにする。オモリには石を使うが、これを糸に固定するにはこれも地元の自転車屋でもらった自転車のチューブを切ったものを使う。ぜんぶ地元調達である。

 こうして5本の仕掛けを川のここぞと思う淵に放り込んでおき、翌朝また早暁に出かけていって回収するのだ。

 翌朝の作業は視界がほとんど効かない白い霧の中でカヌーを漕いで目印の発泡を探し、流れを読んで操船しながらやる。カヌーは船内のスペースも狭いので忙しい。

 1本目、ハズレ。2本目、ハズレ。さすがにそうはうまくいかないか──と思いながら最後の1本を引き上げようとしたら、グイグイと強烈な引きが来た。興奮しながら上げると、大きなナマズがかかっていた。

 さっそくさばいて蒲焼きにした。手元に在るものでタレを作り、小さな焚き火を起こして塗りながら焼いた。子どものころから祖父にナマズは食わせてもらったことがあった。その川の魚を食べると「全力でその川を味わった」という気にさせてくれる。

 食べ終わると陽も高い。腹もふくれたのでヒルネをする。

 テントが大風でバサリ、バサリと大きく揺さぶられる。

 バサリ。バサッ。

 いかにもみょうなので起き上がってみたら、テントのすぐ横に転がして置いたナマズの頭をトビが狙って滑降してはテントが邪魔になって失敗し、なんども空中を踊っているのだった。

 わたしに気づいたトビは近くの電線にこっちを向いてとまっている。「おい、ここに置くぞ」ひょいと放ってやるが早いか、ふわりと鮮やかな弧を描いて空中に舞い上がり、ふたたび一陣の風を残して頭を拾いさっていった。

 川虫とカワムツとナマズとトビの連鎖を自分が作った気になり、トビを見送りつつ円がみごとに閉じたような気がした。

 まだ何者でもない若者だったころの5月の話である。





[2016/10/01 00:20] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

店はなんのためにあるのか 

 製造業(www.634634.jp)を営んでいるので、ここ数年勉強会への参加や独学を続けてきた。
 
 トヨタ方式に代表される日本の製造業が打ち立てた「5S活動」「ムリ・ムラ・ムダの排除」などの思想(すでに哲学だと思う)をしみこませつつ毎日の仕事にあたっている。
 
 一方で小売業もやっているので、先週の土曜日は東京の小売業を視察してきた。
 
 先端的な蔦屋家電から立ち後れ業界のホームセンターまでいろんな店を見る。ある大型アウトドアショップの2階の吹き抜けから階下の大量の商品を見下ろしながら思った。
 
 これらの商品は製造・流通の観点から見ればすべてが「停滞のムダ」じゃないか。「店」と呼ぶから見えなくなっているだけだ。現金化できるかできないかも分からないのにヒマな店に大量の商品が並べられ、時間とともに劣化を待っている。
 
 このムダの排除につとめているのが小売のふりをした流通業者のアマゾンなわけである。クリックしたら目の前に忽然と商品が現れるようなサービスが究極の目標なのだ。
 
 店はなんのためにあるのか。店でしか味わえないものを提供するしかないのである。すでに店は「商品の小売り」ではありえなくなっている。
 
というわけで、今週末からもアインの朝市(www.einshop.jp)をお楽しみに。兵庫県加古川市で毎週土曜日朝0700時から、みなさんのお越しを待っております。




[2016/09/04 22:44] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

シン・ゴジラなんぞで盛り上がってる場合なのか 

 職を捨ててオランダに移住する人が理由を綴っているブログを読んだ。せつない。

「なぜ日本を離れようと思ったか」(鈴木隆秀)
https://note.mu/napacat/n/nd5ad09f6f291



 おれ自身もたいへんおもしろかったシン・ゴジラだけど、Facebook友だちの中で1人だけつまんないB級映画だという意見した人がいた。

 ずいぶん考えたのだけど、おそらくその人は日本に安直な希望など見ていないのだ。

 官僚や政治家が急に一致団結し、優秀な日本の物作りメーカーと協力してゴジラを冷温停止する薬品を大量生産・投与する。可能な限りのリソースを短時間に限界まで活用してこの国の未曾有の危機を救う。

「そううまくいくかよ」

という話だ。あの映画を見て一種の爽快感を感じ「明日から頑張ろう」みたいな安直な活力を得てしまったおれより、ずっと冷静なのだと思った。

 シン・ゴジラを見た半月後のお盆に大学の後輩に会った。彼は全国紙の新聞記者で福島市に赴任したばかり。ようすを聞いてみたかったのだ。

 いやはや、現地で住み始めたばかりの後輩からほんの断片を聞くだけでも福島はめちゃくちゃだ。夏に庭で育てたニガウリを食べる前に、近所の公民館に持って行って放射能の汚染度を測るのだ。

 まさに「虚構=現実」が今も続いている。

 こうした根本的なおかしさがどれほど共有され、再発防止策が打たれたのか。忘れっぽい民族とはいえ、いくらなんでも度を超している。

 暑かった今年の夏。しかし5年前の夏は輪番停電で、ある意味もっと暑かったし熱かったはずだ。その数カ月まえ、世界有数の経済大国が数千万の住民もろとも首都壊滅の危機に瀕したのだ。

 こうしてシン・ゴジラから半月、忘れっぽいおれも「明日から元気で頑張ろう!」なんていう単純前向きな気分にはなれなくなった。

 とはいえ、明日も生きていかねばならぬ。生き物に絶望している権利はない。映画「ジュラシックパーク」でマルカム博士は「Life will find a way.(生命は必ず道を見つける)」という名言を吐いたではないか。

 しかしだ。日本人は道を見つけられるほどの、たくましい生命なのか?




[2016/08/29 00:37] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)



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