われわれはお茶してないよね? 

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 これまで「ようそんなことやるわ……」と言われかねないことにあえて挑んできた。いやはっきりそう言われてきた気がする。

 記念すべき日になった。おととしからはじめた朝市がきょうついに初めて平日の開催にトライしたのだ。

 土曜日の朝0700時からなんの変哲もない県道ぞいの田舎の駐車場でテントを立てて「朝市です」とやってみた。

「よく0700時からやりましたね」

と経営コンサルタントから後日誉められたが、真夏は0800時くらいになると暑さで快適とは言いがたいので早く営業を始めるしかないから0700時になっただけだ。まあ競合はいませんけどそれだけですね。魚のいないブルーオーシャンです。

 ところが案外お客さんがきてくれて3週間で固定客がついて定着。驚いた結果になった。

 あんまり見た目が貧相だったので手近の公共施設に場所を移した。ごぞんじ加古川の文教スポーツ施設ウェルネスパークだ。木陰にかこまれているのはいいものの、これまたこんなスペースがあることを施設の利用者すら気づいていないほどの奥まった砂利の駐車場だった。だれがどう見てもオマケみたいな土地である。これまたそれなりに定着した。

 冬になった。屋外のイベントだし来年春までお休みしますとスタッフは言ってほしかっただろう。

「みなさん真冬でもなんでもやるのです。ほかがやらないからやるのです」

スタッフは「えええ……」と言っていたが、

「寒いからといって市場が休んだら国民が飢えるではないか」

というよくわからない理屈でケムにまいて強引に開催したはいいが、おりあしく数十年に1度というすごい寒さがふきさらしの会場を毎週おそった。シベリア寒気団に対抗して薪ストーブを焚きまくったけど、気温計がマイナス7度を記録した日にはさすがにもうダメだと思った。

 しかしお客さんは寒けりゃダウンとか着てきて楽しそう。あんがい平気なのだった。

 むちゃぶりを続けてきてまもなく1年というところできょう平日の朝市になった。屋外のイベントで平日の朝からやるところなんて聞いたこともない。誰が来るんだ。

「われわれはイベントではなく市場であり庶民の胃袋なのだ。平日こそが本丸である」

とまたスタッフをケムにまいて強引に開催した。まあしつらえは基本的にテントを立てるだけだけれど、出店者のみなさんの売上げが上がらないともうしわけが立たない。

 しかしなんとかなった。きょうはそういう記念すべき日だ。



 会場に来た義理の妹と朝食を食べる。彼女の肩ごしに子育てママたちが談笑しながらお茶を飲んでいる。

 不思議なものである。しゃべっている間は人々はお茶の味なんかほとんど認識していない。「このコーヒーおいしいやん」とか言ってるのは最初だけ、あとは一心不乱におしゃべりをつづけている。どうみても主食はおしゃべりで、コーヒーや朝ご飯なんか添え物よくいっても演出材料でしかない。

「なあ、なんでしゃべるのが目的のくせに、人は『お茶しよか』とか『飲みにいこか』ってもってまわった誘いかたをするんやろな。『しゃべりに行こう』と素直にいわんのやろ」

「うーん、おしゃべりはどこに行っても自然についてくるからじゃないですかね」

 なるほど。さすがわが妹はいいことを言う。たぶんそうだ。しゃべるのはあたりまえのことで、それをあえて目的に持ち出さないでもすんできたのだ。

 しゃべることがコミュニケーションと言いかえれば、いまやLINEやFacebookのメッセンジャーやiMessageやSkypeをつかって、地球の裏側の人とも今すぐにはじめることが可能だ。ポケットから端末をだすだけでいい。テキストも顔文字もビデオチャットもやりほうだいだ。

 すでに20世紀の人が夢にみたような世界に突入している。だけど夢に見た世界の到来は、自分がアフリカ人とコミュニケーションする機会はたいしてないんだなということを大多数の人にとって再確認させただけに終わっている。



 それでも人は人と会って話そうとする。

 コミュニケーションの価値やハードルは下がった。しかしおもえば対面コミュニケーションの価値は逆に上がった気がする。コミュニケーションのハードルがさがったのは電子通信によるものだけだ。直接会って話すというのはおかげでかえってひじょうに特別なことになってきた。

 音楽がストリーミングサービスやYouTubeで聴き放題に突入して、かえってライブのコンサートが盛況になったのと同じである。

 朝市というのはあんがいそういう超スペシャルな場所なのかなとおもう。



[2018/05/16 23:44] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

ドローンを買わないあなた、何なら買うのかね 



 土曜日は朝市で朝食をたべたあと身体をやすめ、新しく買ったドローンMavic Airのフライト練習に出る。

 じつは木曜日夕方のライディングで転倒してかるく負傷してしまったのだ。片手ライディングの練習中だった。調子がついて「お、ジャンプだってできそうだぞ!」となってきたころに突っ込んだフープス(凸凹凸凹のこと)でハンドルがねじれて

「ぐちゃ」

というかんじでコケた。合気道で何万回と稽古した受け身も、ここまで複雑な転倒にはつかいこなせない。修行が足りない。太もも基部をハンドルバーで強打し、左半身も地面に打ちつけたようで首が痛い。

 片手ライディングは下半身によるマシンホールドの練習としてとてもおもしろいんだけど、コケたら最後、前にほうりだされる。ハンドル握ってないんだからあたりまえだが、気づいてなかった。



 というわけでバイクには乗れないので最近購入したドローンMavic Airの操縦練習に出たわけだ。

Mavic Air DJI
https://www.dji.com/jp

 このドローンはウエストバッグに収まっちゃうほどの大きさ(これがいちばん感動的にすばらしい)なのに、飛行時間は実質15分くらいを確保できる。旅先での撮影にはもってこいだ。バッテリを4本買ったので約1時間飛行できることになる。

 ドローンで迷ってる人は、個人用や旅行用ならまずこれを買うといい。業務用やプロカメラマンでコンパクトじゃなくていいなら、もっとおおきなPhantomとかMavic Proあたりが飛行時間が長くておすすめだ。大きい方が風にも安定してる。

 ちなみにMavic Airはプロポ中央のスイッチポンで切り換えられる「スポーツモード」を使うと速度リミッターが解除になる。するとドローンレースのようなアホみたいな速度で飛ばすことができる。頭上ギリギリをフルスロットルで飛ばすともうリアルスターウォーズみたいである。時速68.4kmだそうだ。(ちなみにほんとのドローンレースは100km/hを軽々超えるそうだ)



 10万─15万円くらい出せばこんなとんでもないものが手に入る世の中になって、ほんとうに幸せだ。でも、けっこうまわりのオトナに「興味ある」「ああドローンね、知ってる」といいつつぜんぜん食いつかない人がおおい。正直おどろいている。

 こんなすごいもの買わずに、いったい何だったら買う気になるんだろうか。10万─15万円と書いたけど、もっと安いのももっと高いのもいーーっぱいあります。

 じつはドローンの購入はこれで3台目だ。最初はもう3─4年も前だろうか、手のひらに乗るオモチャのドローンでたしか3980円(プロポ付きでですよ)だったが、3台のなかでいちばんショックをうけたのはこのオモチャドローンだった。たった数千円で手に入れたものをいとも簡単に自由自在に空間移動させることができ、マイクロSDカードで写真撮影すらできるのだ。

 技術的・生産的な常識がガラガラとくずれ、この価格と性能をささえている中国の製造業の急速なレベルアップとプログラマーの数と優秀さを想像してひたすら感動した。いったいどうやってこんな価格で作るんだこんなもの。

 アゲハチョウみたいに小さいので風にはひたすら弱かったけど、庭で飛ばして「ドローン勘」をやしなうのにとても役だった。

 その後マジスペックのDJIのファントム3を購入して仕事のイベント撮影に使い、その後もっと小さいのがほしいなぁと思っていたら、屋外系人生の大先輩である北海道のスケノブさんがMavic Airを買ったと知り、スペックなど確認しないで手に入れたというわけ。こういうことはスケノブさんのまねをしていれば万事まちがいはないのだ。

 案の定値段は下がり、圧倒的に小型化して性能はアップしていた。なんていいものを手に入れちゃったんだろう。



 考えてもみてほしい。個人でヘリ飛ばして空撮ができるのだ。そんな世界が1500万円ではなくたった15万円で手に入る。運転免許も必要ない。人からカネ借りるか、断食してでも試さない手はないと思う。奥さんが反対?オンナにわかるわけないんだよそんなもの。

 みんな好奇心が摩耗してしまったのだろうか。

 おそろしいスピードでITが発達してさまざまな機器が生まれ、ネットで共有されて一気に普及して買われ、それを資金にさらにどんどんレベルアップしていく。こんなご時世にせっかく生まれたのに、「時代の玉露」みたいなこんなおもしろい道具をさっさと試さなくていったい何だったら試すのだろう。

 そのへんが正直いっていちばん気がかりなのだ。この国は。



[2018/03/20 00:23] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

日本人の特質はタヌキ寝入り 

「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」

というのは最近のおれの問題意識をひと言で言い表わしてくださった気がする。

人口減社会 黙さず対策尽くそう 思想家・武道家 内田樹
2018年02月12日・日本農業新聞
https://www.agrinews.co.jp/p43254.html


 ありとあらゆる分野で停滞や縮小や自滅路線、そんな中での足の引っ張り合いがぜんぜん終わらず、みんなあきれてSNSに引きこもってうさばらしをするというのが日本のいまの風景だ。

 ショックな事実を正面からとらえて対策を作り上げる能力が極端に低い。

 だからこそこの国の国民は米軍に占領されても教科書に墨を塗って「これでよかったのだ」と反省せずに戦後を謳歌し、その一方でどうみても無駄死にだった戦没者を「彼ら英霊のおかげで今がある」などとよきにはからってしまう。

 直視しづらい事実はずっと直視せず、忘却にまかせてタヌキ寝入り。そのうちなんとかなるのを待ちに入る。

 年金の問題なんて、おれが子供のころの教科書に書いてあったのになんら解決が進んでいない。

 ひょっとすると、日本人が解決してきたのは

・忘却が解決してくれる問題
・経済発展が解消してくれる問題

の2種類しかなかったんじゃないだろうか。忘却は「水に流す」に象徴される消極的な対策のことなので、つまりは経済発展だけしか日本人はまともな解決策を見いだしたことがないことになる。

 おそらく、歴史上侵略者にまともに襲われたことがないという稀有な幸運が、都合の悪いことは考えない日本人の性質に大きく影響しているだろう。

 侵略者からの攻撃は「都合の悪いこと」の最右翼で、事の性質上無視するわけにはいかない。日本以外のほぼすべての民族は、歴史上の戦争でいやおうなくそういうトレーニングを積んできている。

 それができなかった民族はみんな滅びたか、抑圧された状態にいまもおかれている。

 とすると、積もり積もって育てあげてしまった難題を山積みしたまま、人口減というテンションの下がる局面に突入する日本人の前途はかなり暗い可能性がある。

 そういう暗い時代になろうとしていることを誰も真正面から議論していないどころか、どこでそれを議論していくかすら決まっていないのだ。



[2018/03/20 00:02] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

ムサシオープンデパート運営の謎 

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 第15回のムサシオープンデパートがめでたく終わった。きょうはようやく1日休養およびユンケルを投入しながらデスク仕事。

 3日間のイベントデーは集中力がいるうえ、週明けスタートから我が社のスタッフは東京と海外に出張に散っていき、ガラガラになったとたんにNHKの「おはよう日本」で除草バイブレータが取り上げられるので朝0600時出勤とかで休む暇がない。ありがたいことだ。

 なんとなくみんな走り慣れてきたかんじである。





 野外イベントにもいろいろあって、それこそ花火大会みたいに一夜明けるとゴミの海が現出するものもあれば、主催者が必死でゴミの持ち帰りを呼びかける必要のあるイベントもある。

 これにはしかたないところもある。屋外は屋内より「テキトーで大丈夫」という空気がどうしてもできやすいので「場が荒れる」のだ。

 ところがオープンデパートは荒れない。ゴミなどほとんど落ちていることがない。

 ゴミは出した出店者が持ち帰るという、ややめんどくさいけれど合理的に考えるとそうするしかないルールをちょっと前から採用している。実現可能か当初はいぶかしんだが、今や完全に機能するようになった。

 いぜんはわれわれで持ち帰っていたのだが、配慮のない捨て方をされたすさまじい量のゴミ袋を運ぶため、追加のトラックまでが必要になってしまった。「いくらでも捨ててOK」は人心を荒らすのである。

 ところが出店者が自分で持ち帰るとなると、薄い皿を採用したり重ねたりと知恵を出してゴミを減量する方法を考えてくれるようになる。会場みんなでゴミの削減に励んでいるのと同じことになり、運営者のわれわれもイベントのコストを入場料や出店料に転嫁する必要がなくなる。

 だれか一人に責任を押しつけるとめちゃくちゃたいへんだけれど、みんなでバラバラに負担すればたいしたことがないということはよくある。

 会場の境界線もそうである。場外と場内を隔てるのは2本のコーステープだけ。誰でもくぐろうと思えばくぐれるのだが、だれもくぐらなくなった。「ごめんどうですがテープをくぐらずに入場門から行き来してください」と出店者に伝えると、その日から完全に全体が機能するのだ。





 半年に1回しか会わない数千もの他人と一発で息が合うというのは、よくよく考えると信じられないような奇跡である。

「すばらしい運営ですね」「いいイベントですね」とよく言われることからわかるように、おおかたの人はこのハッピーでメロウで協力的な雰囲気を「主催者が作ったもの」と考えてしまうようだ。

 そう考えたほうが分かりやすいのだろう。すぐれた人物にすぐれたリーダーシップを期待する英雄待望論とおなじメンタリティである。

 ところが幸か不幸か、じつはそういう単純な仕組みではない。

 われわれがやっているのはこのイベントの「初期設定」だけだ。入場門やテント、看板などを用意して告知活動をおこなう。開催中のイベントを見てもらえれば分かるとおり、広い会場のほとんどは出店者のブースによってできている。そして会場内にいる人のほとんどは来場者である。われわれは人々がどう振る舞うかまでは決定できないのである。

 オープンデパートの1/3はわれわれの初期設定によって決まるが、1/3は出店者のアウトプットによって作られ、そして残る1/3は来場者のはなつ雰囲気でできている。





 ベンチャー企業のユニークさを図るモノサシとしては

(1)事業がどれくらいもうかるか」

にくわえて
(2)その実現手法にどれくらいマネしにくい独自性があるか」

というのが重要なのだそうだ。つまり何が自分たちだけにしか再現性がないということだ。その観点からいえば、ムサシオープンデパートはかなり「マネのしにくい」イベントになってきている。

 ドレスコードもないのにみんなオシャレして来てくれる。このへんの謎を解くのがここからの仕事である。




[2017/10/12 18:24] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

発売予告!シェアベンチで日本をゆるくしよう 

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 もっと広々とゆるやかな世の中を作りたいとおもって生きてきました。

 あすスタートの鳴尾浜でのムサシオープンデパート(MOD)では、現場でしか手に入らないサプライズをお届けします。これはあたらしい公共空間をつくるためのチャレンジです。

 それはベンチ。ごぞんじの座るためのアレです。その名も「シェアベンチ」。

 10月7日(土)の鳴尾浜でのオープンデパートから発売します。場所をとらず家族4人くらいまで座れます。アウトドアにもぴったり。家具職人と設計・デザインして作った完全オリジナルで、意匠登録もすすめています。

 じつはわたしは最近ベンチという物体にたいへん興味をいだいています。話はやや長くなりますが、しばらくお付き合いください。



 MODの前身となる雑貨店アインショップはヨーロッパからの直輸入雑貨を販売していました。そのころから欧州に現地出張に行くたびに感じるのがあちらのカフェ文化の豊かさですね。喫茶店の屋外席が歩道や場所によっては車道にまで広がっていて、みんな新聞や本を読んだり談笑したりしてすごしています。

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 こういう開けた、かつあいまいなスペースが日本にはありません。

「ほんとオシャレだよねー」

というひとことですませてしまいたくありませんでした。ぜったいこういう場所を作るべきで、必要だと思いました。

 昔はあったんですよ。Googleで「昭和初期 商店街」と画像検索すれば、もっとゆるくてにぎわっていた時代が日本にもあったことがわかります。



 もう10年以上前のことです。アインショップを加古川駅の駅前ビルの1階で営業していました。広い歩道に面していたので、立て看板を出そうとしたんです。

 ところがこのビルにはその名も「はみだし委員会」というものがあって「ある線をこえて何物を設置することもまかりならん。立て看板は一つのみ許可」というルールがあるのですね。イスやテーブルなんか話にもならない。

 お客さんと公共スペースを共有することは路面店の大きな魅力のひとつだと考えていましたから、ずいぶん反対したんですが実現は不可能なようでした。

 そもそも地面なんか誰の持ち物でも本来ありません。たまたまあずかった「天下の公道」です。そこをいかに有効に使えるかが勝負だと思っていました。もちろん「有効に」というのはたんに金儲けの話ではありません。公共空間を盛り上げて、その余禄として商売が繁盛するという理屈です。

 わたしはフィリピンでの3年間の生活から帰ってきたばかりで、かなり頭のネジがゆるんでいたのは確かかもしれません。しかしそういう「公共」の考えかたそのものがすでに許されていないことがショックでした。

 現代日本にはそういう国ではないらしい。そういう土地の使い方も、広々としたメンタリティも失われてしまった。

 アインショップという15年の歴史をきざんだ雑貨屋をこの春に閉店したのは、そういう不自由さに耐えかねた面がありました。もっと広くて自由な空間があればいろんなアイデアが実現できるのに「店舗」をやっているかぎりムリだったのです。

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 その後、たまたま雑貨店の在庫処分アウトレットを神戸ワイナリーの芝生広場でやってみて、あまりの自由さに感動したんですね。なにもないからルールを自分でつくることができる。薪割りをやろうがチェンソーをまわそうが自由自在。

 そんなことからあえて野外のイベントのMODに舵をきりました。




 昨年夏のテスト営業をへて、この春からムサシの地元の加古川市で「オープンデパート朝市」という市場をはじめました。どうしてもMODはたまにしか開催しない大型イベントになってしまっていたので、もっと毎日の生活にはりついたオープンな場を作りたかったのです。

 この場所でわたしが重視したのが「ベンチ」です。お待たせしました。ようやく出てきました。

 ベンチというのは長イスのことですが、じつはイスとはぜんぜんちがいます。なにがって、圧倒的にゆるいんですね。

 そもそも何人がけかも決まっていません。2人でも4人でも座れる。何人で座るべきかなのも明示されていませんから「ここどうぞ。詰めますから」なんてやりとりが自然に生まれます。

 基本的な用途はイスとはいえ構造的にはたんなる長くて平らな台でしかありませんから、用途すら決まっていません。夫婦で談笑してもいいし、恋人がくっついてもいい、ルンペンのおっちゃんが寝転がっててもいい。赤ちゃんのおしめ交換にだって使えるのに弁当を広げることもできますね。

 そんなわけで、ベンチがたくさん並んでいる場所は「ま、お好きにくつろいでってください」というゆるい雰囲気につつまれ、コミュニケーションが生まれるんですね。

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 朝市でもベンチをならべるとゆずりあいと談笑が自然にうまれました。「世界でいちばん見知らぬどうしで話をしない国」といわれ、電車の座席を奪い合っているおなじ日本人とはおもえない空間をつくる力が、この単純なベンチにはあるんです。

 こういう物理的な装置って本当にだいじだよな──と思っていましたら、先だってこんな記事を見つけてほんとに驚きました。同じようなことを考えている人っているもんですね。


「7000以上のベンチによって繁栄した街セントピーターズバーグ」(大西正紀)
http://bit.ly/7000benches


 アメリカのフロリダ州タンパの近くにあるセントピーターズバーグという街の話です。この街はむかし街のいたるところに7000ものベンチがあり、そのおかげで街がたいそうにぎわったのだそうです。

 個人的にツボだったのはベンチにすわっている昔の人たちの距離の近さですね。すごいツメツメで、おそらく他人同士と思われる人たちも談笑している。こ・れ・だ。これですよ。すでに先駆者がいたのです。

 朝市とオープンデパートで使うベンチをこれからこの「シェアベンチ」にいれかえていきます。

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 シェアベンチは折りたたみ式になっていて平らに収納することができます。合板式なので頑丈で、上で大人が飛び跳ねてもびくともしません。どこからみてもスッキリした外見になるようデザインにも気を配っています。家庭や店舗はもちろん、クルマでの旅行に持って行ってたのしんでください。



 そういえばもう20年以上前になるでしょうか。もしかしたら国鉄がJRになってからのことかもしれません。駅のベンチがとつぜん手すりで仕切られるようになりました。若い人はそんな時代があったことすらしらないでしょうね。

 なんともいえずイヤーな違和感を強烈に抱いたのでその原因がずっと気になっていたんですが、あれはすでにベンチではなかったのです。多人数用のイスがつながっているだけで、冷酷なまでの他人行儀と合理化のたまものです。

 こんなふうになってしまった日本の風景を、ゆるくて開放的でなにげない交流にあふれたものに変えていきましょう。

 シェアベンチがその一助になればさいわいです。

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[2017/10/06 04:21] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

フランス人のDIY 

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 このたびのフランスへの旅でいちばん驚いたのが、人々があまりに日常的に、かつ熱心にDIYをおこなっていることでした。

 訪ねたのはブリーブ・ラ・ガイヤルドというフランス南西部の農業地帯にある中核都市。自治体のサイズがずいぶんちがいますが、フランスの県はおそらく日本の「旧体制の国」つまりたとえば摂津とか播磨とか丹波とか、くらいのサイズだとおもえばいいでしょう。わりと小ぶりで、その地方のむかしからの経済圏を反映している。ブリーブはコレーズ県の中核都市で、おそらく加古川市くらいのサイズだ。

 ホームセンターをたずねました。

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 地方の中核都市ですので商圏がひろく、そのぶんホームセンターも大型店舗がおおいのでしょうが、それにしてもまず訪ねたブリコ・デポという店舗で売っている商品のラインナップの多さに驚きました。塗料やネジ・クギのたぐいはもちろんですが、もっと大きな、たとえば日本ではまずホームセンターで売っていないドアやら便器やら台所のシンクやら、かなりの大物まで売っているのです。それも多種類。

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【写真説明】これはブリコ・デポとは別の店。だいたいこんなふうにバスタブとかドアとかの大物も売っている。

 さらに驚いたのは、この店を訪ねたのが月曜日の午前中だったにもかかわらず、職人とか工事業者ではなくどうみても一般人がこうした大物商品をどんどん買っていくのですね。

 ひとりでやってきて台所のシンクを物色している女性を見たときにはカルチャーショックでした。ほかにも若い夫婦がカートに子どもを乗せてあるき(もういちど言いますが月曜の午前中です)、老夫婦がたくさんの資材を調達しています。日本人は資材売場に来るのはおっさん1人です。たぶん夫婦で間取りとか相談しながら買い物しているのでしょう。とにかく職人や業者のほうが圧倒的にすくない。

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 日本のホームセンターやイケアやニトリみたいな家具店のように、買ってきて自宅に設置したらそれでおわり、という商品の店ではないのです。自分で作るための部品や大物の部材ばかりをカートに乗せているのです。店の外では牽引車や車の屋根のキャリアにこうした大物商品を積んでいる。

 ちょっと日本人の「日曜大工」とはレベルが違うようです。フランス語で「ブリコラージュ」というのが「日曜大工」「DIY」という意味ですが、このブリコラージュがほんとうに生活に根付いているようなのです。



 一計を案じ、本屋に行ってみました。それほど一般人がDIYをするのであれば、そのための指南書やハウツー本が本屋にいくと置いてあるのではないかと思ったんですね。

 ありました。すごいのがある。「家庭の医学」みたいなサイズと厚さのフルカラーの「DIY大百科」が3種類もおいてあるではないですか。しかも立ち読みしてみたら木工とかガーデニングにとどまらず、石材の積みかた、水道の配管の方法、電気配線のしかたにはじまり、ついには地下室を掘りかたなんて記事まで見つけてしまった。ちなみにフランスの家庭用電源の電圧は220ボルトです。失敗したら死ぬよ(たぶん死んでる)。

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 こういうことをやるのが普通なんですね。大百科以外にもいろんな分野の専門書籍がたくさんありました。

 なぜそれほどフランス人がDIYをやるのか。帰路の飛行機でとなりに座ったのがちょうどいいぐあいの田舎出身のインテリフランス人(国連難民高等弁務官事務所の職員でした)だったので、詳しく聞いてみました。

 案の定フランスではDIYで自分の家を改築したり家具を作ったりするのがあたりまえで、できないと「パリのやつらはクギもまっすぐ打てない」なんてバカにされたりするんだそうだ。この四十代の男性は自分自身はDIYなんかまるきり苦手なのですが、やらないとバカにされるので「何十回もホームセンターに通って家を直しました」と話していました。

 さらにそれを友だちどうしで手伝ったりするのがふつうなんだといいます。やれ友だちの車が壊れたの、やれ知り合いの家のペンキを塗るのといってしょっちゅう一緒にそういう作業をやるんだそうです。

 女性でも同じ。ホームセンターで大きな台所の大きなシンクを物色している女性をみてびっくりしました話を書きましたが、信じがたいことに、この女性はおそらくほんとうに自分でこのシンクをつけるのです。でなければ女性がひとりでシンク売場で悩むはずがない。

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 DIY大国成立の理由を考えてみました。

 もともとヨーロッパ諸国というのは緯度が高く、比較的温暖なフランスですらじつは北海道や樺太と同じくらいの緯度にある国です。つまりはひどく寒冷で昔は貧しかったはずだ。さらにバカンスがありますから、ヨーロッパの人々は日常的にはひじょうに倹約します。DIYはこの倹約の一環なのですね。こういう節約志向という条件がまずあります。

 さらに、フランスが農業国なのもDIY好きに拍車を掛けている可能性があります。

 面積が日本の1.5倍もあるのに、人口は日本の半分の6000万人しかおらず、しかも土地が日本にくらべると圧倒的に平坦で広いため農業がひじょうに発展しています。パリからレンタカーで小一時間も郊外にでると「まるっきり北海道そっくり」という広大で平坦な農地が広がります。

 日本でも「百姓というのは百の仕事をするからそう呼ばれる」なんていう話があるとおり、農民というのはなんでも自分でやってしまいます。フランスでも農業人口は減っているそうですが、もともとの農民の血がこういうDIY体質を生んでいるのではないでしょうか。このてん完全に都市型社会のシンガポールとかドバイとかの人々は、今後どう転んでもトンカチ握ってDIYをはじめることはないような気がします。

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【写真説明】牽引車がむちゃくちゃ多い。運ぶ気満々だ。田舎町のブリーブだと目測でクルマ10台に1台はヒッチ(牽引車の接続具)が付いていた。資材売場はクルマでそのまま乗り込むスタイル。

 そういえばわたしの知り合いでも北海道に住んでいる人は内地の人間より行動パターンがかなりたくましい人がおおいですね。東京で会ったふわっとした女性に「むかしセロー乗ってましたよ」って言われて驚いたことがある。なるほど道産子ってこういうことかぁ。

 もうひとつの理由として、これはたぶんですが職人の質が日本のように高くない。日本の建築関係の職人というのはおそらく世界一まじめで仕事がていねいです。ところがフランスは見た目はおしゃれですが、さるホームセンターの建物も帰りのシャルルドゴール空港も雨漏りしていました(笑)。そんなに雨が多い土地じゃないのにこのザマですから、自分で日曜大工をやっても金をはらって本職にたのんでも、日本ほどクオリティが変わらないのでしょう。

 最後の理由として、さきほど述べた「いっしょにやる」文化があるのだとおもいます。DIYをやっていると細かいところがわからなかったりつまづいたり失敗したりの連続です。それを周囲の人が手伝うのが一般的であるという生活文化がある。つまり「DIY(Do It Yourself)」じゃなくて「DIO(Do It Ourselves)」なんですねじつは。



 日本人だって3代前をさかのぼればほとんどの人が百姓で、たんぼや畑の耕作はもちろん、牛やニワトリを飼い家の壁をなおし、屋根をふきかえとあらゆる仕事を自宅や集落でやってきたはずです。しかし高度経済成長の50年間は日本人を「買って終わり」の消費者に変えてしまいました。

 しかし日本社会がだんだん全体的に貧乏になってくるにしたがって、田舎に住んで共同で空き家をなおしたり、畑をやったりする若者が増えてきています。こういう動きをみていると、失ったものは多いしまだまだ時間はかかるとはいえ、日本人は最終的に収まるところに収まるんじゃないかと。
 
 まだまだ希望的観測ではありますが、景気も悪くなってそのうち楽しい世の中がきそうな気がしています。


[2017/10/03 01:52] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

誕生日メッセージありがとうございます 

 冗談ではなく、2─3年前から「おれって40何歳だっけ?」とすでによくわからないときがありまして衝撃をうけています。若いころ、自分の歳がわからなくなっている年寄りを笑っていた自分が心底恥ずかしい。

 昨日たぶん42歳になりまして、ことしもたくさんの方からほしくもない誕生日のお祝いFacebookメッセージをいただきました。

 「きょうは岡本篤さんの誕生日です」とかいうおすすめに乗せられて書くほうはいいんですけど、もらうほうは圧倒的一方的かつ一斉同時に圧倒的大量の低品質メッセージを受け取ってしまうわけで、もうこれはFacebookのおおいなるおせっかい、みんなの善意を迷惑メールに自動変換するシステムでしかありません。

 Facebookは誰かの誕生日にメッセージを送ろうとする人にたいしては

「岡本篤さんはきょう大量のお祝いメッセージを受信する可能性があります。あなたのメッセージはそれほどの価値がありますか?」

とちゃんとダイアログを表示してほしい。みんな卒然と悟り、私への新しい仕事のオッファーとか気分がよくなるおべんちゃらとか、こんどデートしませんかとか、じつは前から嫌いでしたとか、意味のある書き込みをつけくわえるようになるはずだ。

 古い友達はだいたいわたしの性格を知っているのでメッセージをよこしてこないのですが、2016年に新しくしりあった人などはわたしのきわどいズボラさを知らないので律儀にメッセージを送ってきてしまう。政治関係の人などはよく知りもしないのに「おめでとうございます」などと選挙活動まがいのメールを送ってくる。さすがに四十づらさげて「あんただれ」とは返事はできないのでまああたりさわりのない御礼メッセージを返すわけですね。

 誰しも齢40もすぎると残りの人生は長くないなとおもう。誕生日は残余の人生にむけて気合いを入れる格好の機会なわけですが、その記念日が来たとたんに大量のあまり意味のない返信メッセージを書くためにまた大事な人生の時間を浪費してしまう。

 これはなかなか逆説的に「ああ、こうやってわたしは死んでいくんだな」と人生の悲哀を堪能できるよくできたシステムなのかもしれません。やるなザッカーバーグ。Facebookのおかげでなるほど人の世は迷惑のかけあいでなりたっているということを今年も知ることができました。

 というわけで、みなさんまた1年よろしくお願い申し上げますてへぺろ。


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[2017/01/12 00:52] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

飲むならトランプということである 

 友人たちがFacebookのタイムラインであまりに感情的にトランプ当選を嘆くので驚いた。この国はさすがアメリカの属国だけあると思う。

 ああまたイヤミを言うてしまった。

 俺はぜんぜん驚かなかった。2000年の選挙を思い出しても、今回ほどの僅差で推移していればトランプが勝ってもまったくおかしくないし、そもそもアメリカはほとんど差別主義者のイナカモンの国なのだ。

 かつてカヤックツーリングにアラスカに行ったとき、アンカレジのユースホステルでメシを食っていたらいきなり「ブタみたいに食いやがって」と白人から言われたことがある。あまりに唐突だったのでボーゼンとしてしまい言葉も出なかった。

 なにせ日本から到着したばかりの欧米圏。いろんな人が出入りするユースホステルの共同食堂である。客人として失礼があってはならないと、ラーメンを音を立てずに丁寧に食べようとしていたさなかのできごとだったから余計に驚いた。なるほどこういうのを差別というのだ。

 その後新聞社で仕えることになった上司は元共同通信のニューヨーク支局長だったが「ニューヨークは洗練されてて大好きだがアメリカはドイナカモンばっかりで大嫌いだ」と言っていた。

 アメリカなんてその程度の国だ。カリフォルニアとニューヨークだけを見て幻想を抱く方がおかしい。いまだにテンガロンハットのカウボーイがセルフイメージで、進化論を教えていない地域もあるのだから推して知るべしだ。たとえば群馬県民が全員いまだに国定忠治をヒーローにまつってるようなものだと思えばいい。(※いや群馬って尊敬すべき人や会社が多いですよ)

 一緒に酒を飲むならトランプだ。

 酔っ払って暴言吐き出したらあの爺さんはメチャクチャおもしろいだろう。日本の田舎の土建屋にもいるよなああいうタイプ。下品で「チョン」「ブラク」とか平気で言ってるけど、気前が良くて男気のあるタイプ。ムチャクチャだけど、まあまかせとけば悪くはしない。

 あと、トランプは100%自腹で奢ってくれるだろうが、ヒラリーはそこんとこも心もとない。領収書とかちゃんともらってて、酔いが冷めそうだ。



[2016/11/11 12:38] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

定時退社が招きかねない問題 

 わたしの会社では、この春から定時退社を月に1回始めた。すでに月に3日になっている。

 しかし、幹部会議で話題になるのは「定時退社にしたけど会社の業績が下がったね」なんてことにならないか。心配なのである。

 でも、始めた。今のところスタッフは喜んでくれているようだ。

 そんなわけで、定時退社の導入でどういう問題が発生するかについて、ここのところずいぶんモヤモヤしてきたけれども「俺の問題は誰かがすでに解決している」がネットのならいである。たいへん参考になる先行事例があった。


定時退社を導入するとどうなるか
http://anond.hatelabo.jp/20161022131254


 発生しかねない問題はここに凝縮されていると思う。

 ムリヤリまとめよう。会社が残業を短縮する場合の問題点は段階的に解決すべきであって、一足飛びに残業の禁止で解決できるものではない。

 以下、今の気づきを綴ってみた。

 岡田斗司夫やホリエモンが運営しているゆるいつながりの中でのクリエイティブな事業体は、いわゆる「目覚めた人」を集めていきなり第3段階に突入した例のように思う。



【第1段階】
□定型化した作業はIT化の力を借りてどんどん減らしてしまうこと。
□この段階で総労働時間は減るはずである。
□IT投資が必要である。
□社員への無理じいはしない。労働時間を減らしながらアウトプットを向上させるというスタイルに心構えができていない人がいる。
□効率よく働くことの喜びを伝える教育体制が必要だろう。
□「他人を助けるためなら残業をしてもよい」というルールは必要ではないか。

【第2段階】
□会社はこれまでの「9時5時一カ所勤務」というイメージではなくなる。
□テレワークは普通に。
□社員はクリエイティブに働く「プロ」になっていく。
□社員は何の分野のプロになるのか自分で分かっている必要がある。
□会社は「利用するもの」という意識に変わっていく。
□プロとプロが仕事をしていくというスタイルを確立する。
□足りない部分は外部の力を借りる。チームに部分的に外部のスタッフが混じっていてもよい。
□もちろん各々が独立したプロなので、副業などまったく問題ない。

【第3段階】
□会社が社会に貢献するスタイルを明文化しそれに共鳴する人が集まる。
□会社はプロが集まる「場」だけの機能になる。
□WEB業界のように必要な時に必要な人員が集まって仕事をする。
□イメージとしてはデザイン会社と当社の関係に近い。最近は行き来しての交流も活発になってきた。
□会社は社員の能力を触発するような場として運営されている。
□楽しい交流の場でもある。
□部活のようでもある。
□私塾のようでもある。



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[2016/11/01 22:56] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

日本人が強い場面、弱い場面 

 韓国でカワウソ調査をしながら、今回も近現代史が好きなヤマダさんと戦争の話になる。

 対話をもとに今回は日本人の特徴を強い局面と弱い局面で分析してみた。あくまで思いつきです。



(1)日本人が強い場面
全体の目的がおおむね自明的に決まっており、あとは各部署・各個人が自律的に努力すれば自動的に結果をつながっていく場面。ほとんどリーダーシップや組織的強さというものが必要ない。

→伝統的に日本人が世界最強のパフォーマンスを示す場面である
→高度な倫理観と教育を合わせ持った人員が必要
→現場の工夫が組織に反映されていくことで組織は自律的な成長をしていく
→自律的な成長は、ある時点から部分最適となりついにはガラパゴス化に陥りやすいことに注意
→典型例は高度経済成長



(2)日本人が弱い場面
リーダーが長期的な視野で目標をはっきり打ち立て(自動的にできるものではないことに留意)、各部署・各個人が役割分担をしっかりこなすことで結果を出していく段階。正確な上意下達と、全体の目標を逸脱しない能力が必要となる。

→伝統的に日本人が苦手とする場。つまり混乱期にこの弱みが出やすい
→リーダー待望論が叫ばれるが誰がリーダーなのか分かっていない
→優れたリーダーが必要だが、実は優れた人をリーダーに選び育てる能力がもっとも必要
→リーダーシップはフォロワーシップが不足している場合には機能しない
→言われたこと以上の仕事をしてしまう日本人は、時として言われたことしかしない人間より始末が悪い
→典型例は第二次世界大戦の敗戦



 (1)の好例が高度経済成長期である。「追いつけ、追い越せ」。日本人の目標ははっきりしていた。というより自明であった。世界的に日本人の労働コストは安く、得意な研究熱心さと手先の起用さを駆使して一生懸命働けば、自動的に世界の企業にたいして圧倒的な強みをもった製品を作ることができた。

 (2)の好例は、第二次大戦の敗戦だ。大東亜共栄圏という目標はあったかもしれないが、指揮系統がはっきりしないまま、石油もないのに世界最大の産油国の米国に戦争を挑んでしまった。それでもめちゃくちゃに努力する国民性は悲劇を生んだ。テキサスの油井にたいして松根油で挑み、絨毯爆撃にたいして竹槍で対峙しようとしたのだから。

 日本のガラケーは世界の潮流から取り残されて絶滅してしまったわけだが、竹槍は究極のガラパゴス化といってもいいかもしれない。



 ラグビー日本代表のエディ・ジョーンズ監督が、南アフリカに対するジャイアントキリング(大番狂わせ)を導くことに成功したのは、日本の歴史ではめずらしい例と言えるかもしれない。

 なぜなら(1)の長所と(2)の長所の合わせ技で成功したからだ。

 彼がリーダーシップを発揮してすぐれた目標をはっきりと打ち立てたことと、目標にたいしてめちゃくちゃな努力を脇目をふらず(これがだいじ)勤勉にやりぬいたこと。チェリーブロッサムズの選手たちは余計なことはしなかったはずだ。たぶんエディの指示は肉体的にキツすぎて、短いワールドカップ準備期間によそごとに使う余力はなかったはずだから。

 日本の復活のしかたの一方策として、こうした「世界の定番」的な勝ち方は意識しておく必要があるだろう。

 おそらく勝ち方には他にも方法はある。まだわたしには言語化できていないけれど。




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[2016/11/01 22:35] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)