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熊本被災地再訪(2)ボランティアはこの10人だけだった 

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 どう見てもさみしすぎた。

 足かけ3日間の滞在だったが、じつはこの古民家で作業している10人以外にボランティアを1人も見なかったのだ。この集落だけではなく熊本市内や御船町(みふねまち)や甲佐町周辺の道路も、被災した家屋を見ながらかなり寄道して走ったのだが、ついぞ見かけなかったのである。

 東日本大震災で東北の被災地を訪ねたときは、連休ともなればボランティアが大挙して集まり、いく先々でガムテープに名前を書いてヘルメットにはりつけ、クワやツルハシをふるう姿を見かけたものだ。

 それがこの秋の3連休に甚大被災地で1人も見ないとはどういうことだろうか。

 ボランティアの無償の働きにそれほど驚いていたということは、田上さんにしてもボランティアをまともに見たのは被災からほぼ半年がたった今が始めてだったということにほかならない。

 被災地はまだやることは山ほどあるのに、需要と供給が大きなミスマッチを起こしているのだ。





 広い東北の被災地は、どこにいってもボランティアがいたし、最初は遠慮していた被災者もボランティアに作業を手伝ってもらうことに慣れてきていた。

 これには津波被災をともなったためあまりの完全破壊だったことにも原因があるだろう。被災者だけの力ではどうにもしようがないすさまじい破壊だったため、自衛隊や消防の作業も自治体の処理もインフラの工事もまだまだ来ないのが目に見えていた。となると頼れるのはボランティアしかいない。

 また津波被災地は目に見えてやることが山ほどあったということもある。誰が見てもどうせ片付けなければならないガレキの山や泥の海がそこらじゅうにあった。片っ端から手を付ければそれが復旧に役立った。被災地どこに行っても何事かがボランティアの労働を待っていたといってもいい。

 案外見すごされがちかもしれないが、津波にやられた集落というのは何もなくて見通しがいいため、どこで何がおこなわれているかも分かりやすかった。

 わたしが東北で働いていたのは津波で完全に破壊された漁村だったため、ボランティアどうしやボランティアと住民の距離感も近かった。夜になると集落のほぼ全員が公民館に集まってきて休み、ボランティアもそのあたりでテントを張ってメシを食って寝る。差し入れが来たり酒を持ち込んだりで自然発生的に会話が生まれ、酒盛りが始まり、その中で各々の特技にかんする情報が共有され、明日の作業内容に変更が加わったりしていた。

 熊本の状況はそのへんがまったくちがう。津波が来なかったため、被災家屋のほとんどは「こっそり被災」にとどまっている。被災者は仮設住宅と自宅をクルマで行き来していたりするためボランティアとの接点もないし、日本人の奥ゆかしさもあって自宅の掃除や修復作業をわざわざボランティアに頼む人はいない。

 動いているのは被災家屋の数にくらべて圧倒的に少ない解体業者の重機だけだ。「途中から景色がぜんぜん変わらない」と地元の人たちも話している。





 東北の漁村ではどう見ても完全に倒壊している家屋ばかりだったので、やるべきことはその片付けである。崩れかかった半壊家屋はむりやりクルマで引っ張って引き倒したりしていた。もちろん危ないがどうせしばらく誰も助けにこれないのだから自分達でやるしかない。

 ついには遠路重機を持ち込むボランティア(という名の本職)も現れ、わたしが滞在していた南三陸町の歌津半島では被災者とボランティアが協力して道路まで切り開いてしまった。

 熊本の被災地には、そういう突き抜けた一体感や強引さというものがない。みんな苦しいのをグッと飲み込んだまま、整然と順番が来るのを待ち続けている。

 震災直後に給水やトイレに押し黙ったまま長蛇の列を作っているのとまったく同じ状態が続いていると思えばいいだろう。





 おもえば東北が例外だったのだ。

 わたしは同じ集落ばかりを訪ねていたので気づかなかったが、津波被災がなかった地域では今回の熊本震災のようにひっそりと孤立無援をかこっていた人もたくさんいたのだろう。

 日本でこれから地震による被災が起きるとすれば、ほとんどの場合は熊本のようなひっそりとした苦しみが待っていると考えた方がいい。

 分断されたコミュニティの弱さを地震がいっそう際立たせるのだ。その意味では、東日本大震災より熊本地震のほうが今後の参考になる点を多く含んでいるともいえる。




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[2016/09/22 01:41] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

熊本被災地再訪(1)なつかしきボランティアの姿 

 震災半年後の熊本を訪ねる。

 雨が続きそうだったので現地での利便性を優先し、新幹線で現地入りする予定を急遽変更してクルマを運転していくことにした。小雨のなか兵庫県加古川市からは7時間ほどで熊本市に到着する。



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 熊本市の南東に30分くらい離れた甲佐町(こうさまち)へ。ある民家の修復現場に向かった。わたしが半年前の震災直後にボランティア活動で身を寄せた松下生活研究所の松下修さんが迎えてくれた。

 おもえば不思議な出会いだった。松下さんはまちづくりのコンサルタントでコミュニティの再生・創出を設計するのが仕事である。

 ──というと今ではけっこう「旬」な仕事に見えるが、高齢化やコミュニティの再生が今ほど話題にならない時代からずっとそれを本職にしてきたという稀有な人である。わたしはたまたま熊本出身の大学の先輩の紹介で松下さんにつなげていただいたのだが、経歴をうかがうほどに「震災のための準備をずっと続けてきた人」に見えてくる。

 今はこの古民家の再生プロジェクトがはじまったので、作業がはじまったばかりだ。お元気そうでなによりである。

 高齢化の波でじわじわ弱っていた田舎のコミュニティが、大地震で一気に解体の危機に瀕することになった。奇しくも地震が起きてから、松下さんの活躍の場が一気に広がってしまったことになる。

「よくこんな人がいたもんだ」

と震災直後に研究所で寝泊まりさせていただきながら感慨にふけったものだ。悲惨な地震だったが、これを奇貨として熊本が新しい時代を作っていくための準備を続けてきたのがこの松下さんだとしか考えられない。





 わたしが半年前に熊本市に到着したのは2回目の大地震からたしか2日後のことだった。いちはやく現地に入って状況をFacebookやブログなどで発信し、後続のボランティアに情報発信し活動拠点を構築するのが目的だった。

 さいわいゴールデンウィークに地縁血縁友人仕事仲間、東北の被災経験者、東北で八面六臂の活躍を見せたボランティア仲間がたくさん熊本にやってきてくれ、家を失った被災者のための小屋建設を手伝った。これも松下さんがちょうど震災直前に設計を完了していた国産材を使用した小屋で、いろんな方面からの支援金など資金協力を得て合計20棟建てることができた。自宅が全半壊した被災者の家財道具を納める場所として今も使われている。

木のテントプロジェクト
http://kinotento.jimdo.com

 今回は3連休にあたっていたので、若者のボランティアが約10人民家の復旧作業を手伝っていた。長靴と覆面姿と笑顔と汗。東北でよく見たなつかしい風景だ。





 作業をしていたのは田上さんという奥さんのご実家だ。一度は解体も検討した築80年の民家だが、使われている材木がたいへん立派なのもあって継続して使いたいという意思を固め、高齢化するコミュニティの核として食堂もかねて再建することになった。これを手伝うのが松下さんというわけだ。

 屋根や壁、床の損傷はひどいものだ。本体は無傷に見えるが、よく見ると飛び跳ねたのか引きむしられたのか太い柱が10センチくらい基礎から横ずれしている。しかし一抱えもあるような巨大が構造材が使っているのでがっちりとしたたたずまいを維持している。

 わたしも解体を手伝う。崩落した瓦を家の周辺から運び出し、バールで壁板や断熱材をはぎ取っていく。古民家再生の第一段階として、不要な部材をはぎ取って家の骨組みをあらわにするのだ。

 被災してから雨漏りがしどおしだったため、床板もひどく濡れているし家屋全体が湿気に満ちている。カビもひどい。屋根は一見しっかりとブルーシートで覆ってあるのだが、今年の熊本は異様に雨が続きとても防ぎきれるものではなかった。シート自体も2─3カ月しか持たないのだそうだ。早く骨組みを乾燥させたいところである。

 ボランティアの若者たちは建築作業を得意とする国際団体のメンバーで、肉体労働に慣れているため作業はたいへんはかどった。初日で1階部分の壁をあらかた剥がしおえる。

「見ず知らずの人たちがこんなに一生懸命働いてくれるなんて、ほんとうにびっくりです」

 田上さんはおおいに驚いたようすで何度もそう語る。しかしわたしにはこの発言に違和感があった。この驚きじたいに熊本地震の問題が潜んでいる気がしたからだ。




[2016/09/21 02:13] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】ランクル故障の原因 

 トヨタのランドクルーザーが熊本の被災地で故障した。被災地滞在3日目にエンジンをかけたとたん、すごい異音と振動である。 

「うわっエンジンルームでネコでも入ったか!」

と、まるでそんな感じ。そのあと異音が小さくなったので、そのまま加古川に帰宅した。なんとか無事到着。今週にはトヨタに持ち込むつもり。

 しかし、トヨタのランドクルーザーといえば、世界でいちばん故障しないクルマである。たった2万キロで故障するのはおかしい。

 で、先ほどラジオ関西に出演するためにクルマに近づいたら、エンジンルームから異臭がする。ボンネットを開けてみたら、

 だらーん。

 エンジンルームでネコが死んでる……。

 ランクルにはでかいラジエターファンがついている。ファンとラジエターの間に、余震を恐れたネコが「ここなら安心」と逃げ込んで、夜にエンジンをかけたときに殺してしまったらしい。

 というわけで、いまわたしの自宅には熊本のネコの遺体がひとつある。かわいそうなことをした。熊本市東区の滞在地付近の飼いネコかもしれないとおもうと、いたたまれぬ。首輪はないけど……。
 
 被災者の心理的ダメージが大きいと感じた今回の熊本地震を象徴する事件でした。
 
 きょうは早く帰って川原にお墓を作ろう。




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[2016/04/25 14:24] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】ラジオ関西出演します 

 本日1345時から、ラジオ関西「谷五郎のこころにきくラジオ」に出演して熊本地震の現地レポートをお送りします。

 ちなみにパーソナリティの谷五郎さんは高校の大先輩。この番組は薪割りのLumberJacksの紹介に続いて2度目の出演だ。


出演しました↓

谷五郎のこころにきくラジオ「岡本篤さん」
http://jocr.jp/blog/kokoro.php?itemid=12395

radiokansai.png




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[2016/04/25 09:13] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】矛盾の中でビールを配る 

 その矛盾のなかで、彼らは光るものをつかんで帰ってきてくれると信じている。

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[2016/04/23 15:13] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】千葉馨君の日記スタート 

 南三陸町から24時間クルマをすっ飛ばして来てくれた千葉馨君の日記です。

 2011年、彼の写真日記は南三陸町で完全に孤立した馬場中山集落を救い、NHKに2度まで特集として取り上げられることになりました。その立役者が熊本入り。たんたんたる筆致と大量の写真掲載が持ち味で、現場のようすをつぶさに伝えます。

 今後も彼の滞在中の更新をお楽しみに。

馬場中山カオル商店
http://www.chibakaoru.jp/index.html




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[2016/04/23 14:54] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】松下研究所も物資受け入れ停止中 

 私が滞在した松下生活研究所でも、昨日からいったん物資の受け入れをお断りしています。

 こちらが要望した物資(本やビールなど娯楽物資)のみ送ってください。配布能力に限りがあるので、それもいつ止めるかご注意ください。

 昨日の段階でコンビニも開き始めていますからね。クルマで20分くらい足を伸ばせば5日前から買い物は通常どおりです。くれぐれも想像だけで物資を被災地に送らないようにしましょう。




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[2016/04/23 13:41] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】元気の素を配布する 

 仲間たちが被災地でビールをばんばん配りだした。

 3.11の南三陸にもじゃんじゃんビールを持って行った。というより、ボランティアに入った直後から、被災者の漁師のみなさんといっしょにガレキのなかから拾い出した酒を毎晩飲んでいた。倒壊家屋の材木を燃やして暖をとりながら。

DSC_5747.jpg

 思えば不謹慎な焚き火であった。

 南三陸は津波で真っ平らになった集落にいたので「酒でも飲むしかねえ(笑)」という突き抜けた明るさみたいなのがあったけど、熊本は被災の程度が微妙で、みなさん心理的にやられているのでよけい気を使うのかもしれない。

 被災者のみなさん、「不謹慎」なんて気にする必要はないんです。泣くほど我慢しないで。元気が出るものは被災者もボランティアも飲んだらいいのです。被災地で飲むのが罪なら、南三陸の被災者のみなさんも俺たちボランティアも「死刑」になっちゃうじゃないの。

 だいいち、酒を飲まない熊本人なんてずいぶん物足りないよ。




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[2016/04/23 10:49] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】第二高校の今村先生 

 今回のわたしたちの被災地活動のキーマンになった今村先生。彼のまわりはどんどん物事が改善してゆく。

 アイデアとやる気と笑顔と工夫と努力がこの人のまわりで渦を巻いているから、物資もアイデアも余計集まってくる。

 避難所はリーダーの質によって運命が分かれる。ここは「いい避難所」の典型だ。

imamurasensei.png




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[2016/04/23 10:16] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)

【熊本どぎゃんね】寄付したらどんどん公言してアホを蹴散らそう 

 「寄付した」と公表した芸能人が叩かれる、という訳の分からんニュースが流れる震災8日目(だっけ)の朝です。

 この畠平さんの投稿めっちゃいいな!寄付したらどんどんSNSなどで言おうぜ。

hatahirakihu.png
 
 寄付も行動もしねえくせに、それなら黙ってりゃいいものを、芸能人を匿名で叩いて喜んでるアホは、あふれる善意のどん底にたたき込んでやろうや。



 ちなみにわたしは熊本のLumberJacksの支援拠点に個人的に10万円を置いてきました。前回の東日本の反省を踏まえてちょっと工夫した点は以下のとおり。

・用途の縛りなし
・迅速に使い切ること
・使途報告は不要(というか禁止したほうがみんな楽だね)
・使いきれなかった分は松下生活研究所への支援金に編入

 また、ちょっと工夫をしまして、毎日LumberJacksのボランティアメンバーは、この中から10000円をサイフに入れて活動に出るように依頼しました。せっかく迅速に使ってもらいたい支援金なのに、会計担当が保管し、いちいちお伺いを立てて出金とかあとで精算とかしている手間も時間ももったいない。

 サイフにそういうお金が入ってることによって、用途を探すというスイッチが入ると思うのですよ。

 民間の少額の支援金は、欲しいところへにピンポイントでスピーディに届くことがだいじ。早く使わないと、行政や大企業の高額の寄付には勝てない。

 べつにボランティアが自分のメシを食ったって、それは熊本で使われたお金になるわけだからけっこう。できたら東京資本のコンビニとかではなく地元の店で買ってほしいけど。

 また、わたしの経営する株式会社ムサシでは、社員・パート問わず被災地へのボランティア活動は経費をすべて負担することにした。給料出してもよかったけど、するとたんなる業務になっちゃうのでボランティアにならないからね。自発的な意思がだいじ。

 さて何人が熊本に行ってくれるか楽しみだ。




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[2016/04/22 11:45] 熊本どぎゃんね | トラックバック(-) | コメント(-)



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