上旬は6日までフィリピンルソン島北部ツアーでマニラから北部の避暑都市バギオ、世界遺産ライステラスのイフガオなどをバスで走り回り、18日、19日は香港に商用で出張、20日から23日までは韓国のカワウソ調査で山中をレンタカーと徒歩でうろつき回り、帰ってきた24日には列車で飛騨行きと、陸・海・空今月はどうやら1万キロくらい移動した。
今月はとことん乗り物に縁があるようで27日は三木鉄道に乗る。この鉄道は本日3月31日で廃線になってしまう。
旧友のユージといっしょである。昔からの鉄道好きで、さまざまなタイプの「鉄っちゃん」のなかでは「乗り鉄」に分類される。鉄道以外にも交通関係一般にやたら詳しく、交通機関を切り口に世の中の不思議を理解していく、そういう友人である。社会一般への趣味が昂じて中学校の社会科教師になった。あっぱれ天職というべきであろう。
厄神駅に集合。そのユージのレクチャーを聞きつつ16時58分発の三木駅行きに乗る。
廃線は悲しいが、ユージによると「学生も乗らない、年よりも乗らない路線がいままで生き残ってきたほうが不思議」なくらいだという。なるほどそうだ。線路に沿って幹線道路が走っているため、自動車があればこのたった乗車13分の区間を移動するのは10分もかかなない。自転車だってどうってことない距離である。ウィキペディアを見ると、日本でも2番目に営業距離の短い鉄道らしい。
厄神駅を発車すると、加速するのはほんの短い時間だけ。駅間の距離が短いからだ。だいたい1分半ごとに駅に着く。時速40キロくらいだろうか。駅は古い木造駅とプレハブの新造駅がほぼ交互に現れる。「三木鉄道ありがとう」というのぼりが立っている。
お別れのご祝儀相場で混雑した車両はなかなか快適な調度である。座席もフカフカだ。カメラを下げた鉄道ファンが多く、録音機まで用意した人もいる。車窓からは三木鉄道の姿をカメラに納める「撮り鉄」の姿があちこちに見える。鉄道というのはほんとうにファンが多い。ウィキペディアの「鉄道ファン」の記述は相当長いのである。
田園地帯を走ってきた列車ですらないワンマンカーは三木の市街地に突入してこれまた古い木造の駅舎の前に滑り込んだ。
駅前には古いサクラが今年も芽をほころばせているのだが、このサクラが満開になるころには駅の主はすでにないのである。
ユージは子どものころに愛する別府鉄道を廃線で失っている。「別府鉄道とおんなじや」といって教えてくれたのが、三木駅構内の線路沿いにある吹き抜けの建物。現在は自転車置き場として使われているが、おそらく昔は荷物の集荷場だったんじゃないか、という読みはさすがに正しかった。建物のハリに「北海道」「●●商事」「発」(おそらく出荷の意)などと書いてある。東京の次には「三条」という文字があり、刃物の名産地である三木と日本海の雄新潟県の三条市との結びつきがしのばれる。
北海道、三条という文字はわたし個人にとって感慨深い。わたしの先祖は三木の刃物屋で、北海道の開拓期に農業用の刃物を売って大もうけをしたらしいのだ。毎回北海道に行ったら札幌で豪遊していたという。三木の刃物はカマやノコギリなど農耕用の刃物や大工道具が多く、日本の農業がまだ盛んだったころには重宝されたのである。かつては大阪の堺、新潟の燕・三条、兵庫三木、それぞれ日本刀や包丁、銀食器、農業用刃物、大工道具と特色が際立っていた。私の父も同じ金物を扱う仕事をしており、昔から三条市への出張が多かったのである。
集荷場の柱は太く、きちんと金物で補強されている。重量物を大量に出荷するため頑丈な建物が必要で、金物が豊富だったこの街の歴史を物語っている。
駅を出て神戸電鉄の三木駅まで歩く。15分くらいかかるので、乗り換えにはめんどうな距離だ。これがつながっていれば三木鉄道にもまだいくばくかの望みはあったかもしれないと思うが、実際にはそれも厳しいであろう。集荷場からみるだけでも三木鉄道は貨物の取り扱いが多かったことを思わせるのだが、三木の刃物産業が凋落をたどり貨物・人とも移動が減ったこと、輸送手段の中心が鉄道から自動車にシフトしたこと、すべてが三木鉄道には厳しい状態になっていた。厄神駅で国鉄と接続していて金物の運送に便利だったのが、おもに運ぶのが人になってしまうと直接神戸に出られる神戸電鉄にはかなうまい。
三木の街は商店の看板や屋号どこを見ても「刃物卸」「刃物製造」など刃物一色である。粋な古い旅館もあり、往時は繁盛したのだろう。
日本は自動車で物を運ぶようになってしまい、物の輸送過程をほとんど見ることがない。すさまじいドア・トゥー・ドア&ジャスト・オン・タイムのシステム構築力である。宅配便などほとんど荷物を「電送」しているように感じることすらある。映画「ザ・フライ」は物体の電送機械に人間が入ったところ、ハエが機械に紛れ込んでいたことからハエ人間ができてしまうのであるが、あんな機械もう発明する必要ないのではないか、とすら思う。クロネコとサガワでじゅうぶんである。
荷物の運搬について思うこと。
外国を旅行していると物が人間といっしょに運ばれているのを見るのがとてもおもしろい。パラグアイでもフィリピンでも中国でも、人々は重い荷物を平気で手で運ぶし、バスや船、列車もその能力の限界まで人と荷物を積んで走っている。重いものを運んだり荷卸しをしたりしている人間というのはとても絵になるのだが、日本の町を旅して写真を撮ってもいまいち絵にならないのはそういう人々の力技や身のこなしが見られなくなってしまっているからでもある。
写真を専門にしている友人に「日本って絵にならんよな」と言ったら「それは撮り方やろ」と言われたが、肉体の躍動感がなくなった日本は、私にとっては明らかにおもしろくない風景である。写真機は構図など理屈で説明できる部分もあるのだが、それは後付け。いい写真というのは瞬発的に撮影されたものが多い。木村伊兵衛賞を最近受けた梅佳代の『うめめ』などを見ても、体で撮っているのがよく分かる。いちいち考えて撮っていてはあんなインパクトのある写真は撮れない。とくにスナップというのは難しいのである。それに比べると風景写真は簡単。
体で感じて撮る写真が日本では撮りにくくなっていると思うのである。鍛冶屋の火花も消え、重い金物を力まかせに運んできた鉄道も消える。
今年は桜よりひと足早く三木鉄道が散るのである。
追記:感慨とともに往復2時間弱の旅を終えて厄神駅に戻ってきたら、駅の駐輪場に置いていたバイクが盗まれていた。3台あるバイクの中でもいちばん大事にしていたホンダのCD125T。キーを付けたままだったのである。痛恨事とともに忘れられぬ三木鉄道の旅になった。目撃したかたはぜひともご連絡をいただきたい。薄謝ながら御礼を進呈いたす所存です。ナンバーは「ひ912」。
(2008年4月27日の追記)
上で触れたバイクが、このほど発見されました。探してくださったみなさんどうもありがとうございました。おかげさまでウインカーとクラッチレバーなどこまかい部品が外されていたのみで、4万円ほどでもとどおりに修理できました。