今年初の甲子園行き。今年の阪神タイガースは異様な強さを誇っている。勝率は7割を超え、全カード負け越しなし。阪神タイガースと「合気」して生きている関西人は軒並み元気がいい。 ヤクルトとの1戦である。ゴールデンウィークまっただ中、快晴の下のデーゲーム、場所は猛虎ファンの聖地ライトスタンドと、最高の条件の中で観戦した。 ところがこの日の阪神は貧打やミスでいいところまったくなし。1回表にいきなりバッテリーのエラー連続で後逸で失点し、3回に追加点を許した。後半に強い打線も完全に沈黙し、金本も新井もまったく火が点くことなく3時間と持たずにゲームオーバー。 ここのところの疲れがどっと出る。歩いても電車に乗っても眠くて仕方がない。早う帰って寝よう……とおもいきや。 帰路、西明石駅の南にある藤本敦士内野手のご両親が経営する焼き鳥屋「万」で夕食をとった。この万が、厨房のかたがたの料理の腕の確かさと明石という土地柄もあってアブラメの新子の唐揚げやタコ刺し、明石焼など魚介料理が豊富で、メニューの端から端まですべて美味だったので疲れが雲散霧消する。作り置きではなく注文が来てはじめて準備を始める。堅実な美味の効力は偉大なり。 藤本選手のこれまでの苦労や人となりなどについての話をお父上から直接ひとしきり聞かせていただいた上に「藤本うちわ」までちょうだいして、充実した気分で2300時帰宅。ありがとうございました。 すると深夜にもかかわらず鍼灸師ナガオカが来宅。もともと調子がよくなく、合気道を始めて以来さらに悪化し、野球の試合でテキメンに痛みがではじめていた膝などを治療してもらう。若い頃の無茶なランニングがたたったと思い込んでいた膝痛がじつは簡単に治る性質のものだということが分かり、大きく安堵。 ナガオカはこんど池上六朗先生の三軸修正法講座に行くそうなので、合気道と鍼灸、体のゆがみ、東洋医における「どうです、楽になったでしょう」という言葉のプラシーボ効果、雑貨店経営における経営者たるものの正中線──などについて談論風発。 ここに至って疲れと眠気は完全に消えて未明にもかかわらずブログを書きつづり、それでもさすがにこれから寝ます。
最近加古川について聞いた噂3つ。 まず1つ目は、過去に県北の豊岡市で務めていて、加古川に赴任した教師の話。豊岡の学校ではこの教師がIT担当をおおせつかっていた──というより、本人曰く「トシが若いから自動的にそうなってた」──のだが、加古川に来ると学校で教師の机のパソコンがインターネットに接続していないのだという。 加古川の学校では「内部データが外に漏れないように」とのお達しにより、教員の直接ネット接続が禁止され、教師は調べ物をするときには調べ物専用のパソコンまで移動せざるをえない。 ほんとうだろうか。 個人情報の流出に気を使うのはもちろんのことだが、そんなことはどこの企業でもやっていることだ。企業にとって死活問題になる顧客情報や企業秘密もあるが、個人のパソコンに入っていることが多いはずだ。でもちゃんと守る工夫をしている。 真剣に仕事をしている教師なら、調べ物の頻度は高くなって当たり前だ。また学校内にとどまらずに社会と接点を持とうとする教師には、インターネットは強力な武器になる。というより、すでに現代のバックボーンでありライフラインになりつつある。 この内部情報を信じる限り、少なくとも加古川市の職員室はネットの恩恵をまったく享受していないんじゃないかという疑念がわく。 2つ目。加古川で配布されている折り込み形式のタウン誌がある。全国でその地方の情報を掲載して配布しているのでご存知の方も多いだろう。というか、めんどうなので書いてしまうと『リビング播磨』であるが、ある女性記者が曰く。 「飲食店を取材しようとしたら、4軒立て続けに断られました」 1軒2軒ならまだしも、4軒立て続けに断られつづけてはこの記者もちょっと参ったようすだった。広告を出せと言っているのではなく、あくまで読者に読んでもらうための記事として取材させてくれ、と言っているのである。 それぞれ「あまりに客が殺到されると困る」とか「静かに商売をやりたい」とか「ブームみたいにやってくる一見さんより、常連さんを大事にしたい」というそれぞれの心意気があるだろうから批判はしない。それにしても4軒連続となると一定の加古川の徴候を示しているのではないかと思ったりする。 この記者は「どうしてなんでしょうねえ」と意気消沈していた。 最後の3つ目。最近加古川市の警察官と話をする機会があった。警察官は県の職員であるから、県内をあちこち異動するのである。 最近お巡りさんはかつての黒バイクより、白いカブ型のバイクに乗っていることが多い。かつて私は新聞配達をしていたので分かるのだが、乗り手がしょっちゅう変わる業務用のバイクはすぐに調子が悪くなる(自分のものじゃないから大事にしないし)。故障が多いので新聞配達所はバイク屋と提携しているのが普通だ。 新聞配達なら提携先が決まっていてもいいのだが、警察となると困るのだ。緊急事態に即応して現場に急行するのが重要な仕事の一部なのに、各署指定のバイク屋以外では修理ができないのだという。出先で調子が悪くなっても最寄りのバイク屋で修理することができないのだ。仕方なく指定外のバイク屋で修理してしまうと、あえなく自弁になってしまう。 一事が万事で、燃料すら提携先のスタンドが決まっていて、そこでしか給油ができない。夜中に出動して燃料がなくなってしまうとこれは大変である。加古川署に出かける際に近辺にある指定のスタンドで入れるらしいのだが、このお巡りさんはたいへんに困っている様子だった。「年末なんかスタンドが閉まっちゃって大変ですよ」と言うのである。お巡りさんの使っているのはおそらく90ccのカブなので、燃料タンクが小さい。燃費はけっこういいのだがたいへんだろう。 現場に急行するときに高速道路を使うときも同じだという。高速道路券みたいなものがあるらしいのだが、それを持っていないと「現場に行かないわけもいかないので、仕方なく自腹切腹」と、そういうことがあるらしい。 ほ、本当なのだろうか。 前出の高校教師は部活動の部員のためにユニフォームを作ったとき、これまでの業者ではなくより安い業者に変えてみたそうだ。すると学校から大目玉を食ったという。部員と家族のことを考えれば、安いほうがいいに決まっている、と考えたのだが、加古川ではそういう単純な合理性が通じないことがある。この街はけっこうオカタイ空気がいまだに相当残っているようだ。 自宅に届いたばかりの『広報かこがわ』5月によると、加古川市の人口は26万7335人。けっこうなサイズの街である(4月1日現在)。しかもそのほとんどはもともと加古川に住んでいた人ではなく、外からやってきた人たちである。一説には8割とも言う。 そういう人たちにとって住みやすいんだろうか、加古川は。
鍼灸師のナガオカが患者を診ていると「春は疲れをためている人が多い」らしい。動物の体は暖かくなってくると冬モードから春夏モードに切り替わるのだが、その無理が出てくるのがこの時期なのだそうだ。 だから学校も9月始まりのほうが理にかなっているという。 暖かい時期の勢いを保ったまま入学して、新しい環境に体を徐々になじませる。そして体のペースが徐々に落ち着いてくるころには日も短くなり、いっそう勉学にも身が入ろうというものだ。なるほど。 日本の4月始まりというのは、体には無理が来やすいサイクルなのかもしれない。春になって頭の方は浮かれていろんなことをやりたがるのに、体のほうはまだいまいちついてこない。そんな中入学があったり入社があったりすると、体がいちばんシンドイ時期に激変した新しい環境への適応を要求されることになる。 スギからヒノキにバトンタッチされた花粉は飛んでいるし、黄砂まで日本に飛来して空を茫漠とした春霞で覆い、ただでさえ薄ぼんやりしがちな日本人の頭をさらにぼんやり化する。4月の上旬はストーブを焚くくらいの日もあるのに、後半になると不要になり、暖かい日なら昼間はTシャツでOKという具合で、月のうちでも冬と春と初夏がいっぺんにあるような時期だ。 こうして体が季節についていこうとして4月にため込んだ無理が発病するのが五月病というわけなのだろう。 しかしだからといって9月の入学というのは、いかにも日本人のこれまでの習慣に合っていないように思う。間を取って、5月はじまりにしてはどうだろう。春も終わって体は完全に初夏モードになっている。すぐに梅雨がやってくるが、それも勉学や沈思黙考のためには好都合かもしれない。少なくも体にとっては楽だろうと思う。
JRを使ったら、加古川駅のホームから喫煙所がひとつ消えている。大阪・神戸方面行きのホームの両端に喫煙所があったのだが、先頭車両付近だけになってしまっている。 そうしていると、神奈川県が飲食店やパチンコ屋などを全面禁煙にするべく「公共施設禁煙条例」の成立を目指していると、毎日新聞(2008/04/16)の朝刊1面にカコミ記事があった。ありとあらゆるパブリックスペースが対象になるらしい。 ことほどさようにスモーカーに対する締めつけは露骨に進んでいて、冒頭の神奈川県条例などを知るにつけ、駅ホームの喫煙所がなくなるのも時間の問題ではないかと思わせる。 スモーカーの私に「まだ吸ってるの?タバコなんかやめろよ」と言い募る元スモーカーの友人もいる。自分もこないだまで喜んで吸っていたくせに。そうなってしまう世の趨勢もわかる気がするけどね。 いったいこの禁煙運動というのは、なにを目指しているのだろうかと思う。 「まあまあちょっとけむいけど、遠慮して吸ってくれているようだから、そのまま離れて吸っててよね。うん、やめろとは言わないからさ」 というくらいのフレンドリーな態度は取れないものなのだろうか。禁煙・嫌煙運動家というのは、その強行な態度がほんとうに世の中の幸せを増幅するとでも思っていらっしゃるのだろうか。 天の邪鬼(あまのじゃく)と呼ばれる人がいる。人の言うことの反対をやりたがる人のことだ。つまり、世の中から阻害されればされるほど、意固地になってよけいに喫煙をやめない。そういう人が必ずいる。いますよね、みなさんの周辺にも。また、意固地になるのではなく、煙草をやめる気がもともとない、という人もある。ちかごろ私の身辺にガンの患者が多いのだが、ガンになっても酒を飲み、煙草を吸い続ける人がいる。そういえば赤塚不二夫もそうである。 こうした人々を急先鋒(?)とするスモーカーはこれからますます弱小勢力になり、それでもやっぱりゼロにはならない、という段階を迎えていくはずである。金魚鉢みたいな透明で狭い喫煙所にスモーカーを押し込んでいる現在の都会の光景に典型的に見られるように、つまり圧倒的少数派を多数派が白眼視する社会になっていく。 それを、差別というんじゃないのだろうか。 そういう社会が住みよいと、禁煙活動家や嫌煙家のみなさんは思っているのだろうか。 本当のことなので言っておきたいのだが、健康・長寿は必ずしも万人の希望ではない。健康・長寿が人類の至上目的であれば、冒険家などという人生のありかたもありえない。 身辺を見れば「いろんな人がいてあたりまえ」なのは分かり切っているのに(だよね)、こと煙草になるとヒステリーとしか思えない勢いで「いろんな煙草との付き合いのありかた」を否定する。煙草という何百年も人間生活に浸透してきたものを一挙に全否定する。いろんなグラデーションを無視して白か黒か、マルかバツかの単純さを適用して全否定できてしまうのは人間の思考のありかたとしていびつだ。 そこへいくと、フィリピンという国は居心地のいい国だった。2002年ごろはまだポイ捨てしほうだいの野放図な喫煙マナーの国だったのだが、私が居心地がいいと感じたのはもちろんその野放図さではない。 私が滞在している間に、首都マニラの中央ビジネス街であるマカティ市で、すべての飲食店が全面禁煙になった。アメリカびいきのビナイ市長の差し金であり、晴天の霹靂である。これが与えたインパクトといえば、30年前の日本でいきなり飲食店が全面禁煙になったのだと想像してもらえればいい。この禁煙施策が実施されたのはマニラ首都圏の中でも「いかにも最先端」なマカティ市だけであった。 日本食レストランの店主たちも、降って沸いた禁煙条例に対応すべく、禁煙ルームや排煙装置を急ごしらえで準備するなど相当の混乱が生じた。しかし実際の条例が施行されてしばらくすると、さすがに日本の前科持ちが多数逃げ込む国である。異質を排除しない。条例の適用もだんだんとゆるくなってきて「まあ、これくらいの場所なら吸ってもいいだろう」というような現実的な対応に落ち着いた。 こういう「やわらかい国」だからこそ、日本の退職者が終(つい)の住み処として選ぶんだと思う。いろいろ厳密じゃなくて困るところもあるんだけど、総じて住みやすいのである。
成犬でもらってきたラブラドールレトリーバーのクロちゃん(九郎兵衛)がうちに来て半年がすぎ、4歳になった。これから5歳にかけてちょうど働き盛りの年齢にあたる。そういう年齢のイヌといっしょに生活ができるのは幸せなことだ。 このクロはたいそう頭がいい。「どこの飼い主も自分の家の子がいちばんって言いますからね」というヒヤカシを受けることもあるが、わたしはそういう判断にかけてはかなり冷酷である。馬鹿犬は馬鹿犬、駄犬は駄犬。自分の家で飼っているイヌが賢さとそのイヌをどれくらい愛しているかは別問題である。(イヌのことを擬人化して「この子」と呼ぶのも生理的にダメ) クロは拙宅に来るまで教えられていなかった「フセ」も「ツケ」(側について歩く)もあっというまにできるようになった。他のイヌがいても吠えつくこともない。「マテ」と言えばこちらが豆粒のような大きさになるまで歩き去っても座って待っている(首をろくろ首のようにのばしながらですが)。わたしの在宅時は垣根のない庭で放しっぱなしにしているが、散歩中の近所のイヌが通ってもまるっきり無視。タバコを買いに行くなどちょっとした外出ならつながずにほうりっぱなしで出かけてもおとなしく帰りを待っている。そのくせ、来客が来たらちゃんと一声吠えてくれるのでちゃんと番犬も務める。理想的な個体である。いやはやいいイヌに当たったものだと思う。 イヌを飼う絶対条件として、ノーリードのまま散歩に行けることがあった。これはイヌと人間双方の幸せのために外せない。放したまま散歩に行けるなら、短時間の散歩でもイヌは思いきり走り回ることができる。ずっとリードを引かなくてもいいからわたしも楽ちんでイヌを放っておいて川魚や野鳥の観察ができる。以前飼っていたシバイヌが雄犬ながらおとなしいやつで、ノーリードで散歩ができた(時折遁走して朝帰りしてたが)ので、その喜びと楽しさは何物にも変えがたいことを知っているのだ。 ノーリードで「ツケ」状態のまま道路を歩き、川原など広い場所では「ヨシイケ」と言うと存分に走り回るという幸せな散歩。イヌをよく知らない多くの人も「おとなしいんですねえ」と感心し、イヌ好きの人も「ノーリードで散歩できるなんて、ほんとうにいいですね」と言って喜んでくれる。 ところが、時おり「イヌはつなぎなさい」というおしかりを受けることがある。こうした人はおおむね2種類に分けられる。まずその1は「おとなしい奴ですからだいじょうぶですよ」と言うと納得してくれる人。そしてその2は偉そうに高圧的な文句を言い続ける人である。 先日その2の人種に出くわした。初老の男性であったと記憶する。「イヌはつながんとあかんやないか」と言うので、いつもどおり「いえ、おとなしいから大丈夫ですよ」と答える。すると「それでも、イヌを怖がる人もおるんや」とさらに高圧的なお答えである。イヌを怖がる人もいるからこそ、こちらは犬種を選び、個体を選び、厳しくしつけをしているのである。最初から対話を拒否したようなこういう人物にとりあう義理はない。だいたい、自分が怖いのならまだしも、だれの代表として物を言っているのかよく分からない。ところが、その上にこの男性が言うたことには「協会に通報するぞ」である。 いったい何の協会だ、おい? ここに至ってコミュニケーションに益なしと認める。「どうぞご自由に」と言い捨て、無視を決め込む。すると「通報するから教えろ、あんた、どこのモンや」などと言うのである。人の素性を聞くならまず自分が名乗ってからにすべきという常識をこの人物は長い人生において獲得していないらしい。人間同士のコミュニケーションを最初から拒否しつつ、自分は安全地帯にいて「協会」という御上の威光をちらつかせるところなど、下衆の外道である。 これ以上詰め寄ってくるようならこちらにも相応の覚悟はあったが、男性はぶつぶつ言いながら去った。ちなみに2人連れで、もう一方はこの外道の言うことに「そうやそうや」などといちいちあいづちを打っている、下衆の外道のさらに三下であった。 最近イヌ好きが自慢の愛犬を連れて、休日の川原などに集まり、イヌを遊ばせているのを見かけることがある。ノーリードのイヌも多く、まことにうるわしい光景だと思って見ていたのだが、よく見るとイヌと飼い主1対1でノーリードのまま散歩をしている人は見たことがない。勘ぐってみれば、イヌを放すという理解されにくい行動のため仕方なく同好の志が集まっているという、残念な光景とも思えるのである。 「イヌはつなげ」派に申し上げる。 イヌはそんなに馬鹿ではない。人といっしょに暮らすという意味でのイヌのポテンシャルを日本よりずっとうまく引き出してきたヨーロッパでは、都会でもつながずに歩くのが普通の光景である。日本でもできないわけはない。実際にクロちゃんとは神戸の街中でも平気で散歩ができるのである。赤信号では座って待っている。 欧米のイヌをはじめとする動物をやたらに愛護する傾向にはあまり賛同できないが、イヌの地位は日本より圧倒的に高いようだ。レストランでもしつけられたイヌは入っていいが幼児はお断り、というところもあると聞く。それはクロを見ていると納得できる。聞き分けの悪い子どもよりよほど扱いやすい。イヌというのはそれだけのポテンシャルを秘めているのだ。 イヌは可能なかぎり放して飼うかわりに、きっちりしつけるべし。そういう世の中になってくれればいいと思う。 話は飛ぶが、最近呼んだ本で養老孟司が「日本の田舎にクマが出没して人を襲ったりするのは、イヌをつないで飼うようになったから」と断言していた。なるほどそうだ。 何万年も人間といっしょに生活してきたイヌという動物は、もちろん人間社会の中で実際的な役割をになうようになっていたわけである。双利共生だった。人間はその役割を認識しておらず、ここ数十年の間にイヌの役割は「生活の必需動物」から「ペットという名のヒーラー(癒しを与えるもの)」になってしまった。しかし、数万年来の習慣をここ数十年の間に変えてしまってはどこかにひずみが出る。 放し飼いのポチが裏の畑で鳴くことができなければ、大判小判のありかもわかりますまい。
養老孟司と内田樹&東京ファイティングキッズの対談がトーク番組のダウンロードサイト 「ラジオデイズ」(http://www.radiodays.jp/)にあったので、ダウンロードして聞く。たいへんおもしろかった。養老先生ほんと声がいいですね。 あっちこっちに飛んで行きながら通奏低音がちゃんとある自由自在・融通無碍話を聞いているのがまことにいい。養老孟司と対談している内田先生から合気道を習っているのだと思うと、まことにへんな感じ。 こんな先生がたまさか兵庫県にいらっしゃったという幸運に感謝するばかり。これも内田先生おっしゃるところの「武運」かもしれない。内田先生は東京の自由が丘をほっつきあるいていたところたまたま合気道の道場に出くわし、そこが現在全幅の尊敬を寄せる多田宏師範の道場だったというのを、自身の「武運」として語っておられる。いったいどの著書のどの部分だったかは、たくさん読みすぎて忘れてしまったけれど。 後日、ナガオカから薦められて養老孟司+宮崎駿の対談本『虫眼とアニ眼』(新潮社)を読了。こちらもたいそうおもしろい。 宮崎駿、養老孟司、内田樹、この現代の三賢のいずれかがお好きな方は、求められたし。 論理で物事を説明しようとしてきた時代が終わるんじゃないか……、という感覚を受ける。
合気道6回目。3週間ぶりである。3月の末に2泊3日の合宿があったのだが、フィリピン・香港・韓国死のアジアロードに出ていたため参加できず、その次の週はお休みであった。 1週間に1度というのは、悲しいペースだ。 新しいことを学ぶには最初に勢いをつける必要がある。語学でも1週間に1回英会話学校に行って年間30万円を使うより、1カ月間30万円で有能な英語の家庭教師を雇い、毎日数時間ずつ特訓を受けながら自分でも集中して1カ月英語学習に没頭したほうが圧倒的に効率は上がる。1カ月に30万円も使うことに躊躇はあるだろうが、その最初の1カ月が終わればすでに自分で後は勉強できるくらいに能力は付いているはずだし、さらにのちの11カ月がまるまる自分のものになる。 そういう勉強の仕方が理想だと思うのだが、合気道はそうはいかない。稽古が1週間に1度しかないからだ。 本を買って調べて手を動かしたりしてみるが、なにせ武道は流派の違いというのがあるから、実際の多田塾の稽古と購入した本に書いてあることがぜんぜん違ったりする。用語まで微妙に違うのであるから、初学者としては混乱するほかない。道場まで遠いこともあり、同好の志ともなかなか会わない。 というわけで毎回稽古に赴く車中はちょっと気重である。前回覚えたことをまったく頭の中で反芻できないのである。イメージができないので自信がまったくない。10年以上前の大学のころにやった柔道の打ち込み(技を掛ける寸前までの動作を反復する練習法)のほうがよっぽど思い出せるくらいだ。 しかしここは我慢のしどころである。私が学んだ柔道は力技であって、日常生活の体の使い方の延長線上にあった。だから思い出せるのである。合気道は日常生活の体の使い方とはまったく違った体の運用が必要になる。齢三十三にしてようやく立ち上がったというようなありさまであるから、そうそう新しい体の使い方が身に付くわけもない。 とはいえ、毎回気重なまま稽古に出かけつつ、稽古が終わった後はとても晴れ晴れとした気分になるのが不思議でもある。頭、つまり理屈では何一つ整理がついているわけではないのだが、体が何かを整理していってるのであろう。たった6回ではあるが稽古に参加するうち、「体が勝手に動く」というような体験がけっこうあった。 技を掛けて、掛けられて「あ、なんか今のよかったな」というのである。 内田先生が土曜日の指導の中で大要こんなことをおっしゃった。「稽古中は自分に合う人を選んですばやくそばに座り、すかさずその人にお願いしますって言うんだよ。そういうのがすごく大事です」。 投げやすい人、投げにくい人というのがあり、また投げられやすい人、投げられにくい人というのがある。 投げられにくいのが、下手に手加減をしてくれる人である。これは初級から中級の女性に多い。当方は「ド」が付く初心者であるから、下手な方向に受け身を取ったりして関節を傷めないようにスピードもゆっくりと手加減をしてくれている、のは分かるのである。しかし関節はしっかり極まっていないし勢いもないためこちらはつねにどうとでも逃げられる状態に置かれているわけで、技を受けようにも受けにくいのである。どういう技をかけられているかこちらも分かりにくい。 逆に上級者は関節もばっちり極めてスピーディに「あちゃあ、こりゃだめだ」という状態にすぐ持って行ってくれるから、受け手としては一定の方向にしか逃げようがない。受けるのも簡単なのである。投げられて爽快である。 15時稽古終了。芦屋の道場のまわりは桜が満開であるが、花には目もくれずに車を飛ばして、しかし翌日から交通安全週間であるから時速110キロの安全圏速度を維持しつつ加古川へ戻り、チェンソーを軽トラに放り込んで薪を切りに郊外に出る。知人に探してもらっていたところ、加古川市と三木市の境界付近に雑木を切り倒している場所が見つかった。 すでにユンボ(パワーショベル)で打ち倒されている木が何本もあり、いくら持って帰ってもいいということである。直径が40センチくらいでチェンソー初心者が切るのにはちょっと荷が重いと思えるくらい大きなものもある。 チェンソーというのはほんとうに危ない道具で、切断中にチェンソーが跳ね返ってきて何十針も縫う傷を負ったという話をよく聞く。これまで使った経験はないわけではないけれど、慎重にやりはじめる。ちょっと大きめの35cc、ガイドバー(刃渡り)35センチのわりと大きなチェンソーである。 最初は細い枝を払い、だんだんと太い幹へと移る。ほれぼれするような薪になりそう。軽トラまで運ぶが、うんざりするほど重い。すでに切り倒されてけっこう乾燥している木でこれだから、完全な生の立木はほんとうに苦労しそうだ。 日暮れまで作業して軽トラに「半盛り」くらいの薪を持ち帰る。どうやらこれでひと月分くらいはありそうだ。状況が恵まれていれば3時間くらいの作業でひと月分くらいの原木は調達できることになる。あとは薪割りすればいい。薪割りは楽しみである。ヨキ(斧)を打ち下ろすとパカンと割れるあの作業は気分を高揚させるものがある。 それにしても根回り直径40センチ、50センチの木が多い。集落はずれの雑木林でもそんな大木がけっこう見られるのだ。木はあんまり大きくなると作業が大変だから薪として使いにくくなる。 養老孟司が「日本は石油をこれまで使ってきたから森林が守られたともいえる」というようなことを書いていた。日本が森林率を誇っていられるのも、燃料を完全に木質燃料から化石燃料にシフトしたからだ。日本の木材の蓄積量は現在すさまじい量になっている。薪をいまだにおおいに使っている韓国で見る山中のか細い林とは大違いだ。40年、50年のちょうど切りごろの木材が日本の山にはスギであれヒノキであれうなるほどある。これがさらに大きくなってくるとかえって住宅の建築材料として使いにくくなるだろう。薬師寺を建てるわけではないのだから、それ相応のサイズというものがある。 南紀で備長炭の炭焼きをしている土山君の炭焼き仕事を手伝った時には、案外細い木を使っているのに気づかされた。備長炭に使うバベ(ウバメガシ)は成長が遅く非常に重い木であるのも理由の1つだが、あまりの巨木は作業効率が悪いし切り倒しても人力ではとても運び出せないので切らないのである。 軽トラを走らせながら、ちょっとこれはとても切れんな……という巨木もあちこちで見ていると、日本の林はこれから伐採の限界に入ってくるだろうと思う。早いうちに切って使って再生を促さないと、あと10年20年と放っておかれると世代交替のチャンスを逃してしまうことになる。でかすぎて切れない、というと巨大銀行みたいですが。 と危機感を演出してみましたが、わたしはいい時期に薪ストーブを導入したものだと思う。ちょっと手を広げれば薪はいくらでも手に入りそうだということですから。
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