日本の木は早く切らないとまずい 

 合気道6回目。3週間ぶりである。3月の末に2泊3日の合宿があったのだが、フィリピン・香港・韓国死のアジアロードに出ていたため参加できず、その次の週はお休みであった。

 1週間に1度というのは、悲しいペースだ。

 新しいことを学ぶには最初に勢いをつける必要がある。語学でも1週間に1回英会話学校に行って年間30万円を使うより、1カ月間30万円で有能な英語の家庭教師を雇い、毎日数時間ずつ特訓を受けながら自分でも集中して1カ月英語学習に没頭したほうが圧倒的に効率は上がる。1カ月に30万円も使うことに躊躇はあるだろうが、その最初の1カ月が終わればすでに自分で後は勉強できるくらいに能力は付いているはずだし、さらにのちの11カ月がまるまる自分のものになる。

 そういう勉強の仕方が理想だと思うのだが、合気道はそうはいかない。稽古が1週間に1度しかないからだ。

 本を買って調べて手を動かしたりしてみるが、なにせ武道は流派の違いというのがあるから、実際の多田塾の稽古と購入した本に書いてあることがぜんぜん違ったりする。用語まで微妙に違うのであるから、初学者としては混乱するほかない。道場まで遠いこともあり、同好の志ともなかなか会わない。

 というわけで毎回稽古に赴く車中はちょっと気重である。前回覚えたことをまったく頭の中で反芻できないのである。イメージができないので自信がまったくない。10年以上前の大学のころにやった柔道の打ち込み(技を掛ける寸前までの動作を反復する練習法)のほうがよっぽど思い出せるくらいだ。

 しかしここは我慢のしどころである。私が学んだ柔道は力技であって、日常生活の体の使い方の延長線上にあった。だから思い出せるのである。合気道は日常生活の体の使い方とはまったく違った体の運用が必要になる。齢三十三にしてようやく立ち上がったというようなありさまであるから、そうそう新しい体の使い方が身に付くわけもない。

 とはいえ、毎回気重なまま稽古に出かけつつ、稽古が終わった後はとても晴れ晴れとした気分になるのが不思議でもある。頭、つまり理屈では何一つ整理がついているわけではないのだが、体が何かを整理していってるのであろう。たった6回ではあるが稽古に参加するうち、「体が勝手に動く」というような体験がけっこうあった。

 技を掛けて、掛けられて「あ、なんか今のよかったな」というのである。

 内田先生が土曜日の指導の中で大要こんなことをおっしゃった。「稽古中は自分に合う人を選んですばやくそばに座り、すかさずその人にお願いしますって言うんだよ。そういうのがすごく大事です」。

 投げやすい人、投げにくい人というのがあり、また投げられやすい人、投げられにくい人というのがある。

 投げられにくいのが、下手に手加減をしてくれる人である。これは初級から中級の女性に多い。当方は「ド」が付く初心者であるから、下手な方向に受け身を取ったりして関節を傷めないようにスピードもゆっくりと手加減をしてくれている、のは分かるのである。しかし関節はしっかり極まっていないし勢いもないためこちらはつねにどうとでも逃げられる状態に置かれているわけで、技を受けようにも受けにくいのである。どういう技をかけられているかこちらも分かりにくい。

 逆に上級者は関節もばっちり極めてスピーディに「あちゃあ、こりゃだめだ」という状態にすぐ持って行ってくれるから、受け手としては一定の方向にしか逃げようがない。受けるのも簡単なのである。投げられて爽快である。


 15時稽古終了。芦屋の道場のまわりは桜が満開であるが、花には目もくれずに車を飛ばして、しかし翌日から交通安全週間であるから時速110キロの安全圏速度を維持しつつ加古川へ戻り、チェンソーを軽トラに放り込んで薪を切りに郊外に出る。知人に探してもらっていたところ、加古川市と三木市の境界付近に雑木を切り倒している場所が見つかった。

 すでにユンボ(パワーショベル)で打ち倒されている木が何本もあり、いくら持って帰ってもいいということである。直径が40センチくらいでチェンソー初心者が切るのにはちょっと荷が重いと思えるくらい大きなものもある。

 チェンソーというのはほんとうに危ない道具で、切断中にチェンソーが跳ね返ってきて何十針も縫う傷を負ったという話をよく聞く。これまで使った経験はないわけではないけれど、慎重にやりはじめる。ちょっと大きめの35cc、ガイドバー(刃渡り)35センチのわりと大きなチェンソーである。

 最初は細い枝を払い、だんだんと太い幹へと移る。ほれぼれするような薪になりそう。軽トラまで運ぶが、うんざりするほど重い。すでに切り倒されてけっこう乾燥している木でこれだから、完全な生の立木はほんとうに苦労しそうだ。

 日暮れまで作業して軽トラに「半盛り」くらいの薪を持ち帰る。どうやらこれでひと月分くらいはありそうだ。状況が恵まれていれば3時間くらいの作業でひと月分くらいの原木は調達できることになる。あとは薪割りすればいい。薪割りは楽しみである。ヨキ(斧)を打ち下ろすとパカンと割れるあの作業は気分を高揚させるものがある。

 それにしても根回り直径40センチ、50センチの木が多い。集落はずれの雑木林でもそんな大木がけっこう見られるのだ。木はあんまり大きくなると作業が大変だから薪として使いにくくなる。

 養老孟司が「日本は石油をこれまで使ってきたから森林が守られたともいえる」というようなことを書いていた。日本が森林率を誇っていられるのも、燃料を完全に木質燃料から化石燃料にシフトしたからだ。日本の木材の蓄積量は現在すさまじい量になっている。薪をいまだにおおいに使っている韓国で見る山中のか細い林とは大違いだ。40年、50年のちょうど切りごろの木材が日本の山にはスギであれヒノキであれうなるほどある。これがさらに大きくなってくるとかえって住宅の建築材料として使いにくくなるだろう。薬師寺を建てるわけではないのだから、それ相応のサイズというものがある。

 南紀で備長炭の炭焼きをしている土山君の炭焼き仕事を手伝った時には、案外細い木を使っているのに気づかされた。備長炭に使うバベ(ウバメガシ)は成長が遅く非常に重い木であるのも理由の1つだが、あまりの巨木は作業効率が悪いし切り倒しても人力ではとても運び出せないので切らないのである。

 軽トラを走らせながら、ちょっとこれはとても切れんな……という巨木もあちこちで見ていると、日本の林はこれから伐採の限界に入ってくるだろうと思う。早いうちに切って使って再生を促さないと、あと10年20年と放っておかれると世代交替のチャンスを逃してしまうことになる。でかすぎて切れない、というと巨大銀行みたいですが。

 と危機感を演出してみましたが、わたしはいい時期に薪ストーブを導入したものだと思う。ちょっと手を広げれば薪はいくらでも手に入りそうだということですから。



[2008/04/07 23:55] よもやまコメント | TB(0) | CM(0)