
熊谷さんから新著『動物の足跡学入門』(技術評論社、1580円)が送られてきた。この本で165冊目だそうだ。すごいね……。
「まーた足跡の本か、と言わないよーに。本人がいちばん分かってんだから!」
とコメント&サイン入り(熊谷さんはニホンカワウソ研究会きっての足跡フェチでもある)。最新のフィールドワークと取材の結果を盛り込んであって読みごたえ抜群。写真提供者の欄に私の名前が入っていないのはもちろん許しますよ、熊谷さん。(ちなみに166ページ左ね)
「足跡学」とあるが、足跡だけについて書かれているのではなく、身近なところからスタートして動物学全般に言及してある。「分かる分かる」という部分の中に、「えっ、そうだったんか!」という驚きがいつも盛り込まれているから熊谷さんの本はおもしろいのである。
入稿してから思い直して書き改めたというクマの項は
熊谷さんのブログと合わせて読むとスリルがある。ときどき話が韓流ドラマにまでぶっ飛ぶときがありますが、気にしないように。
ツキノワグマの異常出没の原因については210─211ページに以下のようにある。(1─3は略)。
4 里山が荒れてしまったから。
昔はクマの住んでいるエリアと人間が住んでいるエリアとの緩衝地帯であった里山が、今は無くなってしまったことに、原因があるのではないかということだ。
クマが、山の中を徘徊しながら里山との境界に来たとき、昔なら畑には人間が働いていたし、子どもの声も聞こえたろう。そこでクマは「おっと、いけねえ……人間のエリアだ」と、山の中へ引き返すことができた。
今は里山の木々や畑はほったらかしで境界線がわからなくなってしまっているし、里山を宅地開発して山際まで住宅が建っている。
どうせ柿をもいでも誰も食べなくなったし、干し柿を喜ぶ人もいない。過疎と高齢化で柿をもぐという労働力もないから、実ってもほったらかしだ。
そんな柿の実がたわわに実っていたら……クマは当然のように食べるだろう。「里山が荒れている」というのは、物理的な問題よりも人間のライフスタイルの変化が原因なのだ。 養老孟司氏は「クマが里に来るようになったのは、イヌをつないで飼うようになったから」と断言していた。これもヒトのライフスタイルの変化の典型だろう。
一昨年、私は静岡市の郊外にある山中のシイタケ農園を訪問した。収穫期のシイタケが軒並みサルにやられて大変だというので、害獣撃退機を開発できないか調査に行ったのである。サルはシイタケの石突きの部分だけを食べていくのでよけい憎らしいのだが、それはさておき。爆竹が定時に点火する装置を作成している在野の発明家といっしょに訪問したのだが、取材している間じゅう、どうしても「イヌを放し飼いにすればそれですむんじゃないのか?」という疑問がぬぐえなかった。
咬傷被害や野犬化がネックなのだろうか。ならば「シバイヌ等小型犬のみ」などのしばりを作ればいいのではなかろうか。これまでの努力で狂犬病も撲滅した日本なのだ。たまに小型犬に人が咬まれるくらいの事件ともいえないような事件と何百万円もの農作物被害を天秤にかけて、それでも「田舎のじいさんばあさんのシイタケより、咬傷被害のほうが重大」と言い切れるか。野にオオカミを放て、という真面目な議論すらあるんだから。
静岡市のはずれにあるこの農園はじつに険しい谷間にあり、見ただけで先祖代々の苦労がしのばれ涙の出そうな美しい段々畑だった。静岡ならでは、茶が植えられている。シイタケのほだ木は同じく急な斜面にあるスギ林の中に並べてあった。後継ぎもないまま山中の余生をすごしている老夫婦の数少ない楽しみであろう作物の収穫。一夜にしてほだ木が丸裸にされてシイタケのカサが派手にうち捨てられている光景はあまりにむごい。
熊谷さんの本からやや話がそれた。
ほ乳類の観察というのはあてもなく自分で出かけるのはたいへんだし、鳥や昆虫などに比べて開かれている観察会も少ないので参加する機会も少ない(熊谷さんは観察会もやってますよ)。
しかし、ちょっと気をつけていると加古川市でも私の子どものころは見たことのなかったキツネをしょっちゅう見るようになったりと変化がある。道端に倒れているタヌキの死体も使い道があるのだ。(ちなみに轢死体が増えるのは秋です。原因は熊谷本138ページを参照)。
哺乳動物について疑問を感じたら熊谷本で入門してください。165冊もあるけどね。