ブラック労働者 

 「ドイツ人は定時になったらスパッと仕事を終えて帰る」という話を昔からよく聞いた。さすがドイツ人は厳格だ──みたいな話のながれである。

 しかし、これはドイツ人だからではなかった。中国人も定時になったらさっさと帰る。みんな夕方の散歩とかスポーツとかを楽しみ、ゆっくり食事している。

 おれは日本人だけが残業にかんして無頓着で異常であることを、会社でこういうふうに説明している。

「日本人でも親戚に葬式が出たら問答無用で会社を休むでしょう?『仕事なので父親の葬式は出ませんでした』とかありえないよね。それと同じレベルで、毎日毎日おそくまで家族も趣味も子育てもなにもかも無視して残業というのは、世界で日本でだけ通用するあり得ないくらいムチャクチャなことなんです」

 ところが、こういうムチャクチャが長年まかりとおってきていると、残業をなくしたい経営者が何をどう言っても、残業しようとする人が出てくる。災害時に電車がとまっても歩いて出勤する人がいるのと同じ構造だ。

 残業問題は経営者がブラックな場合はもちろんあって、これは「悪者」がはっきりするので叩きやすいからSNSや週刊誌的に話題になりやすい。

 しかし多くのばあいブラックなのは労働者じしんなのだ。これは話題にならない。叩くのが自分というのはシャレにもならないからだ。

 「でも仕事がねえ」と言い合いながら、その先に何もない道をみんなでいっしょに肩を組んで歩いていく。誰にも指示されたわけではないのに、喜んで歩いていく。



[2018/07/28 00:16] 会社経営 / ビジネス | トラックバック(-) | コメント(-)

おれは被災地育ちの経営者 

 被災地の義援活動をやっていると、信じられないようなことが実現することがある。

 こうした現象が起きやすいのはとくに被災初期のころだ。

 被災者もふだん薄くなっているコミュニティや親族の付き合いが困ってる者どうしで一気に復活し、なんでも無料でやりまっせのボランティアや、金なら出しまっせという企業がみんな一丸となるんだから、すんごいことになる。

 人・物・カネがそろい、意思はもとより明確という、とんでもないチームがいきなり生成されるわけだ。

 その好例が東日本大震災で宮城県歌津半島の「未来道」だ。半島の先端で孤立した集落から内陸部の主要道まで、埼玉県のはすだ支援隊をはじめとするものすごい数のボランティアが用地交渉をし、完全な山林を切り開いて道路を作ってしまった。おれも仲間とここに行っては樹木の伐採なんかを手伝ったわけだ。

 これが会社の経営に生きている。

 あるプロジェクトが「とんでもなくうまくいくときの条件」は「こんな雰囲気になったときだ」というのが身体でわかるからだ。この経験は経済がずっと低調な日本でふつうに働いているとほとんどできない。

 バブル世代もこれは経験していない。あの時期は何をやってもアホみたいにもうかっていたわけだから、「圧倒的逆境に一丸となって立ち向かう」というハリウッド映画ばりの状況ではない。

 どっちかというと圧倒的に孤独が好きだったおれが、かなり意識的にアジテーターっぽくなってしまったのも東日本大震災の「おかげ」というか「せい」というか。とにかく人生が変わったのはまちがいがないところだ。

 爾来なにをやるにしても、あの未来道を目指しているのに近いところがある。

 今回はすだ支援隊の小森さん、中山さんと広島県三原市の被災地でいっしょに作業をすることができた。じつはすれちがいばかりで東北でもその後の熊本でも会っていないのである。

 しかしたぶん二人の目はおれとおなじものを確信に満ちて見ているのだろう。だからお互い引け目もてらいもなく不謹慎とはまったくかけはなれたレベルで「ボランティアはおもしろい」と自信を持って言えるのである。

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[2018/07/19 12:03] 2018西日本七夕水害 | トラックバック(-) | コメント(-)

被災地にこそ朝市を 

 明日から広島県三原市に出発して被災地のボランティア活動をやってきます。作業内容はこの段階ではおそらく土砂の排出になりそうです。
 
 東日本大震災や熊本震災で、個人的な勢いではじめたボランティア活動で、たくさんの経験を積むことができました。
 
 被災地での活動がなければいま自分がここにこういう形で存在はしていませんし、じつはいまオープンデパート朝市をやっているのも、この被災地での活動が強く関係しているんですね。
 
 災害というのはなにもかも破壊しつくしていきますから、その社会の矛盾があらわになり、弱者のあつかわれかたのひどさがたいへん露骨な形でみえてきます。早い話が現代日本の社会問題の展示場みたいなところがあるんですね。
 
 いくつも災害被災地をみていて、いちばん痛感するのはコミュニティのだいじさなんです。つきあっていた友だちとも職場とも買い物に行っていたスーパーとも縁が切れてしまい、やることもなくなり生きがいもいっさいがっさい失われます。被災者には避難したあとに行く場所というものがない。
 
 それに耐えて再建ができればいいのですが、ほんとうに厳しい現実をグチる場所も話をきいてくれる相手も長期間にわたってなにもかもなくなってしまうわけですね。そうした状況に耐えかねて、被災からずいぶんたってから自ら命を絶つ。東北でも熊本でもわたしが訪ねた拠点のすぐそばでそういう結末を迎えてしまった人がいました。
 
 ただでさえ弱っている日本の地縁コミュニティに、災害がとどめを刺してしまう。



 じつは、それをなんとかつなぎ止める場所として、朝市が使えないか。ずっと考え続けてきました。
 
 2011年に訪ねた東北では、被災者のみなさん(いまとなってはたんなる友だちですが)と数え切れないほど幾晩も酒を飲み、困ったいることやどうでもいいこと、猥談から海の仕事の話まで語り明かしました。
 
 ボランティアとして現地に行ってやったことで何がいちばん役に立ったのか考えると結局それだったんじゃないか。
 
「おれはそばにいます」
 
という態度を表明して形にすること。これがいちばん被災地にとって必要なものだったんじゃないか。ガレキの撤去なんかもずいぶんやりましたがそんなものたいした仕事量ではありませんし、重機には勝てない。
 
 わたしは1人しかいませんし、知人をずいぶん誘って現地に行きましたが、それだってたいした数にはなりようもありません。本業ではありませんからボランティア活動ばかり続けていられるわけでもありません。
 
 でもそうしている間に人が亡くなったりする。
 
 これを解決する1つの方法が朝市みたいなゆるくて快適でだれでも長居ができ、自然に交流がうまれるような場なのではないか。モノと情報と金が交流する場なのではないか。
 
 朝市は日常のささやかな喜びを増幅するための装置として作ってきたのですが、じつはそういう場所がいちばん必要なのは被災地なのです。



 明日からの被災地では、いよいよ加古川でノウハウを積んで軌道に乗りかけてきた朝市がそういう役に立つことができないか、視察の意味もこめて活動してきます。
 
 もしできるとふんだら、朝市を被災地で開催し、出店者のみなさんにも来てもらう。出店者も遠方に出かけることになりますから、過去の災害でもみなさんからいただいた寄付金を出店者に支払う。そんなことができないかなあと。
 
 まだぼんやりした絵ではありますが、そんな絵を描くためにも明日から行ってきます。facebookでの投稿でまたお目にかかります。



[2018/07/13 22:40] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

サッカーはスポーツではない。ほぼ。 

 日本代表の決勝進出がこんなに話題になるとは思わなかった。

 いやまあ、たしかに「正々堂々最後まで死力を尽くして戦う」という観点からすればポーランド戦の終盤は圧倒的に不細工ではあった。

 しかしサッカーはもともとこういうムチャクチャなスポーツなのである。

 バカみたいに広いピッチに審判が少なすぎて卑怯なプレーが見逃されがちという「遊び」が多い。ルールもファウル後の再スタートのしかたとかテキトーすぎるし、ムダなボール回しを禁止するバスケの「30秒ルール」みたいのもない。得点の少ないゲームなので強いチームがたまたま負けることも多い。逆に圧倒的に弱くてもやり方によっては勝っちゃうことがある。ゴールに手で押し込んでも主審にバレなかったら「マラドーナのゴッドハンド(神の手)」と呼んで喜ぶどころか伝説にまで昇格させて後代に語り継ぐのである。

 無様なスポーツだが、こんな岸和田のだんじりみたいなものにいまさらガタガタ言う方がヤボである。そんなことが気になるなら、サッカーなんか見なけりゃいいのである。他のほとんどのスポーツはもっと正々堂々とルールを遵守して戦っているのだから。



 そもそもサッカーのワールドカップがこんなに盛り上がるのは、このやたらに競技スペースが広くて不安定で、審判が少なく、ラフプレーや反則を許容するところ、つまり弱小国でもイレギュラーに勝つ可能性がゼロではないところに起因するのである。

 「FIFAフェアプレー」という横断幕が大会中に掲げられたりテレビ画面に出たりするが、あれはサッカー特有の風習であって、フェアプレーがここまで前面に強調されるスポーツはない。そんなものふつうスポーツではあたりまえだからである。「ウィンブルドンフェアプレー」とか「世界陸上フェアプレー」がありえるか考えてみれば一目瞭然だ。

 これは、つまりサッカーにフェアプレー精神が欠けていることをFIFAみずからはしなくも公言してしまっているというわけだ。だから「日本代表の今回のプレーはフェアではない」みたいなことを言っている人は、残念ながら的外れなのである。

 FIFAもルールがユルすぎることはじゅうじゅう承知だ。しかたなくビデオ判定員はもうけたが、もっとフェアプレーのためにやれることはあるけれどやっていない。「ゴールラインテクノロジー」も導入されているが、この時代にあんなアホみたいなものを「テクノロジー」などと呼ぶところに圧倒的なやましさを感じないだろうか。

 なぜ不正撲滅をやらないかというと、あんまり正々堂々ガチンコ勝負化すると、サッカーというスポーツの独自性が失われるからだ。

 ラグビーが一部の人にとってたいへんおもしろく、大多数の人にとっておもしろくないのも、あれは「弱いチームは強いチームと100回戦っても1回も勝てない」スポーツだからである。つまり、ラグビーではどんな弱小チームでも100%勝てない相手にたいして正面戦を戦わされる。そういう場合ゲームはいきおい「公開処刑」じみた残酷な場になる。

 そんなスポーツを関係者以外の誰がおもしろがるだろうか。われわれには勝つ可能性が0%のゲームを楽しむ義理などないのである。

 ラグビーは圧倒的に強者の論理で動いているスポーツであり、おもしろいのは強豪国だけだろう。しかしスポーツとはそもそもそういうものである。すっきりしたルールで戦い、はっきりした結果をえてすがすがしい気分になる。うらみっこなし。それがスポーツだ。

 しかし、世界で人気のあるスポーツは「強い奴がかならず勝つ優勝劣敗スポーツ」より「弱いチームでも時々勝てる偶然支配スポーツ」だ。わが国の野球はその典型だし、世界的にはサッカーがその任を負っている。

 今回の日本代表の戦いがぶざまだろうとなんだろうと、現在の実力で正面戦による優勝を狙うことができないいじょう、奇策・偶然・場外乱闘を利してなんとか1つでもコマを前にすすめ、ひょっとすると上位に食い込んでいくしかない。これが弱者の論理だ。

 かつて為末大が世界陸上のハードル競技で天候不順によるスタート延期を味方につけて3位を勝ち取ったように、日本代表はどこまでも狡猾にズルく勝っていただきたい。弱いくせに正面戦に挑んで73年前のように破滅してはいけないのである。



 西野監督は3戦目でスタメンからベストメンバー6人を下げた。これはあきらかに決勝トーナメントまでに代表のレギュラー陣を完全に体力回復させ決勝で結果を残す気だ。ポーランドをセカンドメンバーでもギリギリ引き分けでかわせる可能性があると踏んだら、一気に賭けに出た。

 短期集中決戦のワールドカップでは、他の強豪国といえどもギリギリの戦いのなかで疲弊し傷つく選手が出てくる。屈指の強豪国ドイツが予選敗退し、もうひとつの強豪オランダが出場すらかなわなかったのに象徴的なように、サッカーは流動的なスポーツであり、強豪チームすら小さなイレギュラーで大きくバランスを失って負けるのはめずらしいことではない。

 日本代表がここで6人の温存に成功して決勝進出できればこの「サッカーという競技の不安定さ」を突ける可能性が大きくなる。感動したのは西野監督の采配というより、肝っ玉だ。ふつうFIFAランキング60位の国が、ワールドカップでレギュラーを6人も下げるなんて決断はできない。「おまえワールドカップなめてんのか」という話だ。選手の交代枠は3人しかないから、調子が悪いからといって修正は効かない。これでポーランドにボロ負けしていたら、もう西野監督はボロクソのクソミソに言われ、目も当てられない状況に追い込まれたに違いない。しかし、予定どおりあまり機能しなかったセカンドメンバーたちは、「負けながら薄氷の勝利を得る」という奇跡を起こした。

 今回でワールドカップ出場が最後になる選手がたくさんいるにもかかわらず、よくこんなだいそれた策をやれたものだし、選手もついていったものだと思う。大会直前にハリルホジッチ監督の解任事件が起きて「どっちみち期待されてない」という開き直りが生んだものかもしれない。なにが幸いするかわからず、とにもかくにも世界60位のヘッポコチームの薄い薄い可能性を今のところ西野ジャパンがつなぎつづけている。



 次のベルギーどころか、決勝トーナメントに出ているチームすべてに日本はかならず負ける。正面から戦えば、だ。

 それいがいの戦い方ができるかどうかが、今回のワールドカップの醍醐味になる。気温が35度を超えたり、湿度がムチャクチャ高かったり、どしゃぶりになったり、ケガ人が出たり興奮したロシア人がピッチを走り回ったりしたらチャンスだ。日本サポーターも観客席の掃除とかしていないで、ベルギーチョコレートを溶かして袋詰めにしてピッチに放り込むくらいのことはやっていただきたい。

 ピッチの中の正々堂々もいいが、外のゲームも楽しめばいいのだ。世界でもっとも愛されているスポーツは、もっともスポーツらしくないスポーツなのだから。


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[2018/07/02 01:42] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

ムチャクチャなスポーツはそのムチャクチャさを楽しもう 

 日本代表の決勝進出がこんなに話題になるとは思わなかった。

 いやまあ、たしかに「正々堂々最後まで死力を尽くして戦う」という観点からすれば圧倒的に不細工ではある。

 しかしサッカーはそもそもルールもテキトーだし、バカみたいに広いピッチに審判が少なすぎて卑怯なプレーが見逃されがちという「遊び」が多いし、得点の少ないゲームなので強いチームがたまたま負けることも多い。逆に圧倒的に弱くてもやり方によっては勝っちゃうことがある。ゴールに手で押し込んでも主審にバレなかったら「マラドーナのゴッドハンド(神の手)」と呼んで喜ぶ。

 ようするにムチャクチャなスポーツだということだ。

 無様なスポーツだが、こんな岸和田のだんじりみたいなものにいまさらガタガタ言う方がヤボである。そんなことが気になるなら、サッカーなんか見なけりゃいいのである。他のほとんどのスポーツはもっと正々堂々と戦っているのだから。



 そもそもサッカーのワールドカップがこんなに盛り上がるのは、このやたらに競技スペースが広くて不安定で、審判が少なく、ラフプレーや反則を許容するところ、つまり弱小国でも勝つ可能性がゼロではないところに起因するのである。

 「FIFAフェアプレー」という横断幕が大会中に掲げられたりテレビ画面に出たりするが、あれはサッカー特有の風習であって、フェアプレーがここまで前面に強調されるスポーツはない。そんなもんスポーツではあたりまえだからである。

 これは、つまりサッカーにフェアプレー精神が欠けていることをFIFAみずからはしなくも表示しているわけだ。「日本代表の今回のプレーはフェアではない」みたいなことを言っている人は、残念ながら的外れである。

 FIFAもそこのところは分かっている。しかたなくビデオ判定員はもうけたが、もっとフェアプレーのためにやれることはあるけれどやっていない。「ゴールラインテクノロジー」も導入されているが、この時代にあんなアホみたいなものを「テクノロジー」などと呼ぶところに圧倒的なやましさを感じないだろうか。

 なぜ不正撲滅をやらないかというと、あんまりガチガチに正々堂々化すると、サッカーというスポーツの独自性が失われるからだ。

 ラグビーが一部の人にとってたいへんおもしろく、大多数の人にとっておもしろくないのも、あれは「弱いチームは強いチームと100回戦っても1回も勝てない」スポーツだからである。逆にいえば、ラグビーではどんな弱小チームでも100%勝てない相手にたいして正面戦を戦わされる。そういう場合、ゲームはいきおい「公開処刑」じみた残酷な場になる。

 そんなスポーツを関係者以外の誰がおもしろがるだろうか。勝つ可能性が0%のゲームを楽しむ義理などないのである。

 ラグビーは圧倒的に強者の論理で動いているスポーツであり、おもしろいのは強豪国だけだろう。しかしほかのほとんどのスポーツというより、スポーツとはそもそもそういうものである。

 だからこそ逆に、多くのスポーツの中で「強い奴がかならず勝つ優勝劣敗スポーツ」より「弱いチームでも時々勝てる偶然支配スポーツ」のほうが圧倒的に人気があるのだ。



 日本の戦いがぶざまだろうとなんだろうと、現在の代表の実力で正面戦で優勝を狙うことができないいじょう、奇策・偶然・場外乱闘を利してなんとか1つでも上位に食い込んでいくしかない。これが弱者の論理だ。

 かつて為末大が世界陸上で天候不順によるスタート延期を味方につけて3位を勝ち取ったように、日本代表はどこまでも狡猾にズルく勝っていただきたい。弱いくせに正面戦に挑んで73年前のように破滅してはいけない。

 西野監督は3戦目で6人を下げた。これはあきらかに決勝トーナメントまでに代表のレギュラー陣を完全に体力回復させ決勝で結果を残す気だ。ポーランドをセカンドメンバーでもギリギリ引き分けでかわせる可能性があると踏んだら、一気に賭けに出た。

 短期集中決戦のワールドカップでは、他の強豪国といえどもギリギリの戦いのなかで疲弊し傷つく選手が出てくる。ドイツすら予選敗退したのに象徴的なように、サッカーは流動的なスポーツなので、強豪チームすら小さな変更で大きくバランスを失うのだ。

 6人を温存すればこの「サッカーという競技の不安定さ」を突ける可能性が大きくなる。西野監督の采配というより、肝っ玉に感動した。しかしこれも大会直前に監督交代事件が起きて「どっちみち期待されてない」という開き直りが生んだものかもしれない。なにが幸いするかわからないものである。

 ふつうFIFAランキング60位の国が、ワールドカップでレギュラーを6人も下げるなんて決断はできない。おまえワールドカップなめてんのかという話だ。そして予定どおりあまり機能しなかったセカンドメンバーたちだったが、薄氷の「勝利」を得た。

 薄い薄い可能性を今のところ西野ジャパンがつなぎつづけている。

 次のベルギーどころか、決勝トーナメントに出ているチームすべてに日本はかならず負ける。正面から戦えば、だ。

 それいがいの戦い方ができるかどうかが、今回のワールドカップの醍醐味になる。気温が35度を超えたり、湿度が高かったり、どしゃぶりになったり、ケガ人がでたりしたらチャンスだ。日本サポーターも観客席の掃除とかしていないで、ベルギーチョコレートを溶かして瓶詰めにしてピッチに放り込むくらいのことはやっていただきたい。

 ピッチの外のゲームも楽しめばいいのだ。しょせんくだらなくてムチャクチャで愛すべきサッカーなんだから。


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[2018/07/01 12:48] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)