加古川いじめ死事件 

 加古川でいじめによる死者がでたそうだ。わたしも小学生の子供が2人いるので他人事ではない。

「〇〇ちゃんにイジワルされた」なんて話を子供が持ち帰るのは日常的なことだ。こういう日常的な小さな諍いごとはたくさん起きているが、たいていたいした話にはならずおさまってしまう。

 しかしそのうちのごく少数とはいえ、いじめ殺すところまで進む。それを止める仕組みがない、仕組みを作る能力がいまの学校にはないことはもう共通事項としていいんじゃないか。

 いま「能力が学校にない」と書いたが、べつに非難しているわけではない。そもそも「いまのスタイルの学校」に解決を押しつけてること自体が無理筋だということだ。

 解決策は提案されるものの、いつもソフト的なものだ。教師の負担が増えたり親の負担が増えたりするだけで、しばらくするとまた新しい被害者が出る。

 わたしはそもそも学校を重視していない。モトクロスのレースに出たりキャンプを楽しんだりするためにどんどん休ませる。1泊2日じゃわからないことのほうが世の中には圧倒的に多い。

 根本的に初等学校はなにをするところかというと

(1)学問の初歩をさずける
(2)社会的な成長をうながす

──の2つだろう。

 どちらも別に今の学校のフォーマットじゃなくてもいいのだ。まず勉強だが、これは塾でもできるし、気の利いた親なら自分で教えることもできる。数人の親で家庭教師を雇ってもいい。つぎに社会性は、それこそスポーツクラブでも町内会でもサークルでも、なんらかの活動をしている集団に属すれば身につけることができる。

 ウチの子供はモトクロス場でライダーのみなさんにかわいがってもらい、競争心や助け合いの精神を叩きこまれて社会性をたいへん高めているとおもう。

 そういう活動でしぜんに身につくものを社会性っていうんじゃないのか。
今の学校のような一律の「言われたことにしたがう」「みんな同じ」「前へならえ」が社会性ではない。社会性にもいろいろあっていい。

 わたしの提案としてはハードを変える。まずあの旧態依然のハコだ。校舎の建物じたいを変える必要があるのではないかとおもう。

 そのほうが先生たちにとって負担なく「いじめ殺人」をなくすことができる。

 いまの校舎は監獄かウサギ小屋か軍隊かしらないが、どうみてもたくさんの子供に一律の勉強をおしえるためにできたフォーマットだ。いまや「たくさんの子供」はいないし「一律の勉強」も必要ない。くだらん校則などもはや宇宙の笑いぐさでしかない。

 あんな場所に子供と先生を閉じ込めることをもうやめたらどうか。ニワトリだって狭いところに詰めこんだらつつき合いを始めるのである。

 不登校の子供が通うフリースクールなんてのがあちこちでちんまりと運営されているが、そもそもフリースクールみたいな私塾がいっぱいあって好きなのに行けばそれでいいのではないか。

 問題はいまの学校というハードウエアではないか。ハコを変えずに問題を解決しようとしていることじたいが無理難題に思えてならない。



[2017/12/28 21:18] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)