薪はタダではありません 

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 きょうはほんとうに暖かい日だった。まもなく本格的な薪割りシーズンも終わる。

 去年は薪割り仲間といっしょに作った薪が大量に盗まれるという事件があった。このため今年われわれの家で焚く薪がなくなり、薪を納品しているピザ屋さんなどにも迷惑をかけることになってしまっている。

 言語道断としかいいようがない。

 なぜ山に薪をおいていたかというと、丸太や割ったばかりの木は大量の水分を含んでいるので、山で割ってその場で乾燥させてから搬出しようとしていたのだ。それが乾燥完了寸前でぜんぶ盗まれてしまった。

 確信犯である。割って乾燥した薪の価値がわかっているから盗んだのである。さすがドロボウだけあってよく知っている。



 薪割りワークショップや薪ストーブの普及活動をやっていると、このドロボウとは反対に、薪の値打ちがまったくわかっていない人がおおいのに閉口する。なぜか「薪はタダ」だと勘違いしているのだ。

 ほとんど無料で手に入るのは山に立っている木であって薪ではない。

・山に生えている木
・丸太
・割った薪
・乾燥させた薪

 これを現代人はごっちゃにして区別が付かない。イネとコメとモミとゴハンとをごっちゃにしているみたいなものだ。そういえば最近「コメを食べる」という人が増えた気がする。スズメじゃないんだから。何でもかんでも「ライス」でおわりのアメリカ人に一歩近づいたのであろう。

 何トンもある樹木を傾斜地で危険な思いをして伐採し、枝をはらい、40cmにタマギリし、人海戦術で運び出し、クルマを使って運搬して、人力もしくは機械で割って、薪棚を確保して1年間乾燥する。チェンソーや軽トラや斧を維持管理する。

 なぜかそれがタダだと思っている人間が多い。タダでもらえるのは道路から離れた山に根を生やして立っている水分だらけの立木なのだ。乾燥薪ではない。

 丸太を3メートルだけでいいから手で運んでみれば分かると思う。これをえんえん繰り返すのが燃料作りだ。薪ストーブにあこがれるなら、オシャレなストーブを崇拝するだけじゃなく、薪を作る労力とノウハウにだってもっと尊敬があっていいはずだ。薪1本つくれないどころか、鉛筆1本まともに削れないくせに、なぜ薪はタダだとおもっているのだろうか。

「薪が欲しいんです」

といって連絡をくれるのはいいのだが、なぜ労力も金もだす気があまりないのだ。どっちか出さないとモノが手にはいるわけがない。

 見た目で誤解しているかもしれないが、薪は灯油やハイオクガソリンなんか目じゃないくらいの超高級燃料だ。

 ガソリンとのエネルギー密度を想像してみるといい。ガソリンはわずか1リットルだけで1トンもあるクルマに4人を乗せて10kmをはるかにこえて走ってしまうのだ。海を渡って輸入されて石油コンビナートで精製され、ガソリンスタンドまで運ばれて人件費をつかって販売されているにもかかわらず、そんなスーパー燃料がリッター100円強で手に入る。とてつもなくすごいことなのだ。

 1リットルの牛乳パックくらいの薪を1本燃やしてそんな芸当はできない。ものすごくエネルギー密度が低いのだ。石油の密度がおそるべきほどに高すぎるというべきか。

 そういうコストパフォーマンスのひじょうに悪いものをおもしろがってわざわざ使うのが薪ストーブにほかならない。手に入る熱量にくらべてお金がかかる。もしくは労力がかかるのである。

 わざわざLumberJacksで薪割りを教えているわたしに連絡をしてくるのだから、お金で買うよりは自分で調達したいという意図があるのだろう。なのに、じゃ作業にこれますかと問うと「あまり来れないんです」という。

 いったい何をどうしたいのであろう。


[2018/03/15 00:44] ランバージャックス・薪割り | トラックバック(-) | コメント(-)