危機感はいらない 

 「社員に危機感がない」というのは経営者に共通のなやみらしいが、おれは危機感なんていらないと思う。

 この国にはたいして危機でもないのにギリギリ感をただよわせている人のほうが圧倒的に多い。ラクに生きればいいのにラクに生きられない。日本人にはそういうタイプがたくさんいる。

 ついには餅つきによる食中毒をさけるため、「搗くための餅と食べる餅は分けましょう」などというアホな指導を保健所が出したりして、無視すりゃいいのにそれに従うドアホが出はじめる。

 戦後の闇市経済とか、もっと物理的に存在することじたいがたいへんだったはずだ。生きるための食い物の調達だけで命がけで列車に鈴なりでしがみついて闇市に買い出しに出かける必要があったのである。犯罪率も高かった。

 目のまえの道端に子どもが餓死して転がっている世の中では「危機感を持て」とは誰も言わなかったはずである。

 世はうつり、日常を生きることは大多数の人にとって平凡事になっている。するとこんどは「長生きするリスク」とか言いだした。どこまでぜいたくなのであろうか。物理的にはラクになっているはずなのに、みずから命を絶つ人もたえない。

 日本人に必要なのは危機感ではなく楽観ではないだろうか。危機ではないのに危機だと勘違いしている例がおおすぎる。

 たとえば自分がいなくなったら会社はおわり、仕事が回らないと思っている人。そんなことはない。仕事は回る。

 もう昔のことで時効だから言うが、ウチの会社ではある日突然経理部の幹部スタッフが会社とは関係のない件で警察に逮捕されてこなくなってしまった。会社のシステムのパスワードとか銀行への振り込み暗証番号とかぜんぶわからなくなった。本人は留置場なので連絡が取れない。それでウチが潰れたかというと潰れていない。そんなもんである。数年前には開発部のリーダーが奄美大島で自転車ツーリング中に転倒して失神、そのまま1カ月入院した。開発部といったってウチは2─3人しかいなかったので大事件だったのだが、たいして何も起きなかった。「こりゃ正味かなりヤバい!」とおもっても案外なんとかなるのである。

 事実以上の危機感など持つ必要はない。危機感をあおってみんな不信や心配のなかでいきているのが今の日本だ。

 必要なのは「事実」の正確な認識だ。危機を誇張せずにそのままのサイズでとらえる能力があればいい。危機のサイズは過小評価しても過大評価してもダメージがある。過小評価すると緊急事態におちいりかねないので過大評価するほうがまだマシだが、それが正しいのは短期的にみた場合だ。過大評価ばかりしていると長期的にはついには臆病な組織ができあがる。

 「あらゆる可能性を検討せよ」などという文句が会社で重役から出はじめたらかなりマズイことになる可能性がある。「あらゆる可能性を検討しました」と部下が言ったらその組織はもうすでにナンマイダの可能性が高い。

 ありもしないこと、ありえてもどっちみち対策できないことをいつまでもやたら心配するのが危機感ではない。幽霊の正体見たり枯れ尾花。ほんとうに幽霊がいるならいくらでもおびえればいい。枯れ尾花が幽霊に化ける可能性はゼロではないとか言い出したら危機感ではなくすでに病気である。

 思い込みをさけ事実をそのままに見る現状認識の力のほうがじつはよほどだいじ。事実(ファクト)を無視した危機感など危険ですらある。その罠にぴったりはまってしまい、みんなで想像力ばかりたくましくしてもがいているのが日本である。


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[2018/04/11 16:47] 会社経営 / ビジネス | トラックバック(-) | コメント(-)