被災地にこそ朝市を 

 明日から広島県三原市に出発して被災地のボランティア活動をやってきます。作業内容はこの段階ではおそらく土砂の排出になりそうです。
 
 東日本大震災や熊本震災で、個人的な勢いではじめたボランティア活動で、たくさんの経験を積むことができました。
 
 被災地での活動がなければいま自分がここにこういう形で存在はしていませんし、じつはいまオープンデパート朝市をやっているのも、この被災地での活動が強く関係しているんですね。
 
 災害というのはなにもかも破壊しつくしていきますから、その社会の矛盾があらわになり、弱者のあつかわれかたのひどさがたいへん露骨な形でみえてきます。早い話が現代日本の社会問題の展示場みたいなところがあるんですね。
 
 いくつも災害被災地をみていて、いちばん痛感するのはコミュニティのだいじさなんです。つきあっていた友だちとも職場とも買い物に行っていたスーパーとも縁が切れてしまい、やることもなくなり生きがいもいっさいがっさい失われます。被災者には避難したあとに行く場所というものがない。
 
 それに耐えて再建ができればいいのですが、ほんとうに厳しい現実をグチる場所も話をきいてくれる相手も長期間にわたってなにもかもなくなってしまうわけですね。そうした状況に耐えかねて、被災からずいぶんたってから自ら命を絶つ。東北でも熊本でもわたしが訪ねた拠点のすぐそばでそういう結末を迎えてしまった人がいました。
 
 ただでさえ弱っている日本の地縁コミュニティに、災害がとどめを刺してしまう。



 じつは、それをなんとかつなぎ止める場所として、朝市が使えないか。ずっと考え続けてきました。
 
 2011年に訪ねた東北では、被災者のみなさん(いまとなってはたんなる友だちですが)と数え切れないほど幾晩も酒を飲み、困ったいることやどうでもいいこと、猥談から海の仕事の話まで語り明かしました。
 
 ボランティアとして現地に行ってやったことで何がいちばん役に立ったのか考えると結局それだったんじゃないか。
 
「おれはそばにいます」
 
という態度を表明して形にすること。これがいちばん被災地にとって必要なものだったんじゃないか。ガレキの撤去なんかもずいぶんやりましたがそんなものたいした仕事量ではありませんし、重機には勝てない。
 
 わたしは1人しかいませんし、知人をずいぶん誘って現地に行きましたが、それだってたいした数にはなりようもありません。本業ではありませんからボランティア活動ばかり続けていられるわけでもありません。
 
 でもそうしている間に人が亡くなったりする。
 
 これを解決する1つの方法が朝市みたいなゆるくて快適でだれでも長居ができ、自然に交流がうまれるような場なのではないか。モノと情報と金が交流する場なのではないか。
 
 朝市は日常のささやかな喜びを増幅するための装置として作ってきたのですが、じつはそういう場所がいちばん必要なのは被災地なのです。



 明日からの被災地では、いよいよ加古川でノウハウを積んで軌道に乗りかけてきた朝市がそういう役に立つことができないか、視察の意味もこめて活動してきます。
 
 もしできるとふんだら、朝市を被災地で開催し、出店者のみなさんにも来てもらう。出店者も遠方に出かけることになりますから、過去の災害でもみなさんからいただいた寄付金を出店者に支払う。そんなことができないかなあと。
 
 まだぼんやりした絵ではありますが、そんな絵を描くためにも明日から行ってきます。facebookでの投稿でまたお目にかかります。



[2018/07/13 22:40] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)