フィリピン戦跡訪問2 

 フィリピンから帰ってきたとたんに、訪問してきたルソン島中部にあるヌエバエシハ州カバナツアンで日本人が殺された。いや、帰ってきたのは6日だったから、じつは滞在中に日本人が射殺されていたことになる。

 日本でも報道されるフィリピンのニュースはこういう「暗部」ばかりになってきている。どうやらスモーキーマウンテンが有名になってからというもの、日本の活字・写真メディアを問わず紹介されるフィリピンのイメージがマイナスイメージに固定化されてきたようだ。

 人がゴミの海にいるような写真を見て「あ、フィリピンだな」と思うときっとフィリピンである。そういうイメージしか読者が抱かなくなっているし、フィリピンのニュースで一般読者のイメージに合わないものを書いても撮影しても、編集段階ではねられてもいるのだろう。

 かくて、日本に報道されるのはこういったマイナスイメージの写真+邦人殺害事件のみ、ということになる。

 じつはマニラにコールセンターが増設されてさらに中間所得層が増えていたり、それに同調しておしゃれなスポーツとしてバドミントンが流行したりといろんな動きがあるのだが、それは日本人の興味の対象外になってしまっている。

 めちゃくちゃな汚職が露見してもクーデターが起きても、けっきょくは一歩も進まない停滞感のせいで、国際的に見放されつつあるのも事実だけど。



 今回のフィリピン訪問で私が同行したのは70歳から80歳の方である。つまり、日本の版図が西大平洋全域にまたがっていた時代を生きた人である。ガダルカナル島とか、ミッドウェー諸島とか、の時代ですね。こういった地名に関連情報を持たない私と、ラジオや新聞や日常会話で聞いていた世代とが一緒に旅することになったわけだ。

 マニラを出発した29日には、戦前に「在外指定マニラ日本人小学校」だった校舎を訪問する。戦災を免れ、さいきんまでその面影をとどめていた。数年前まで学校の校舎としてつかわれていたが、今回訪れてみるとほぼ廃屋と化している。マニラでは上陸してきた米軍と日本軍の壮絶な市街戦があったのだが、この日本人学校が残ったのはちかくのサントトマス大学に米軍の捕虜が収容されていたため、米軍の艦砲射撃の標的にされなかったからだそうだ。

 教室に入ると
「わしは背が低かったからいつもこの辺にすわってたよ」
と話す男性。

「雨の日にはここでお手玉したりね……」
と廊下を指さすおばあさんもいる。

 2階に上がって、これがおそらく最後になるだろう学校での校歌斉唱。Webに掲載されていることもなかろうと思うので、記録のため以下に掲載しておきます。歌自体も録音したが、ブログにはアップできないので、これはまた他の場所で。

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マニラ日本人小学校校歌(河野辰二作詞、宮嶋慎三郎作曲)


黒潮南にさわげども
日の本つ国ゆるぎなく
君の稜威(みいつ)を仰ぐとき
国民永遠(くにたみとわ)に力あり


灼熱荒野を焦せども
図南(となん)の翼たわみなく
真紅の御旗(みはた)かかぐとき
我等の意気のいや高し


故国千里をへだつれど
大和桜(やまとざくら)の香はきよく
国史の榮(はえ)をうたうとき
学窓(がくそう)つねに風薫る

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 マニラを離れ、バスで北を目指す。途中、パンパンガ州マバラカットの特攻隊慰霊碑で慰霊祭を開く。初の神風特攻隊が飛び立ったのがこのマバラカット基地だった。特攻隊敷島隊の隊長・関行男大尉はここから飛んで米軍空母に突撃し、軍神となった。

 実はこの特攻隊慰霊碑は、フィリピン人の「愛国的ふがいなさ」をただそうと、フィリピン人歴史家の尽力によって立てられたというめずらしい経歴がある。もっとも、慰霊祭に参拝するのは日本人ばかりである。

 戦闘帽をなびかせた格好のいい特攻兵像は、特攻隊を扱った映画「ウィンズ・オブ・ゴッド」に主演した俳優の今井雅之(監督も)に似せて作られている。

 戦争について考えるのだが、兵士として戦った人たちは、自分たちが信じて裏切られた戦争で戦友を失った。それだけ経験も記憶もドラマチックである。しかしたんに親の仕事を理由にフィリピンに住んでいた人たちにとっては、戦争とはなんだったのだろうか。わけが分からないままに戦争に巻き込まれ、たくさんの子どもたちが死んでいったわけである。

 前線で爆弾にはじきとばされて死んでいった兵士と、山中で逃げまどって栄養失調と病気で倒れていった子どもたち。やはり元兵士のほうがフィリピンへの思いは強烈らしい。フィリピンに何度も何度も慰霊にやってくるのは、戦友をうしなった元兵士が多いらしい。

「元兵士の人は慰霊にかける思いが違う」

と今回のツアーを組んだ慰霊専門旅行代理店、PICの倉津幸代さんも言う。中には「自分が生き残ったのは慰霊をするため」と断言する人もいるそうだ。

 だが、1人の人間を襲った運命の残酷さとしてはどちらが上なのだろうか。まったく人生をまったく選べないうちに死んでいった子どもたちのほうが残酷な運命を強いられたとはいえまいか。

 一路、山中の避暑都市バギオへ。在留日本人たちが逃げ場を求めた山中に入っていく。



[2008/03/10 00:26] よもやまコメント | TB(0) | CM(0)

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