「公正な選挙(でしたか?)」が終わりました 

 加古川市議会議員選挙が終わり、ちょっと更新をさぼってしまった。

 地方選挙というのはまったくあっさりしたもので、いったん投票が終わったらまったく何事もなかったのように日常に戻る。日本の選挙はだいたいこういうふうに、たいへんクリーンに終わっているように見える。

 しかし、選挙関係者に聞くと、今回の市議会選挙ではある候補者の演説会場に別の候補の関係者が現れ、「怪文書」をまいたという。こういうことが実際に起きていることは容易に想像できるのだが、なぜか報じられることはない。

 選挙活動という露骨な権力争いの場で何も起きないほうがおかしいのだが、こういう「暗闘」も含めて政治なのだから、きっちり知られてしかるべきで、それこそ選挙への興味を喚起するための好材料だとおもう。選挙を「清き1票」に象徴されるイベントにしないほうがいいのではないか。

 ひるがえって、フィリピンの選挙は激しかった。

 実弾(カネ)が飛び交い、候補の襲撃・暗殺、演説会場の爆破、はては投票箱の紛失・強奪まで起きる。とりわけ暴力的な事件は政情が不安定な南部のミンダナオ地方などに多かったが、強奪された投票箱はいったいどう処理したのか気になった。

 汚職がまん延しているため、選挙管理委員会もまったく信用がない。このため、選管が開票・集計するのと同時に、「ナムフレル」という民間選挙監視NGOが開票現場に入って結果を速報をする。日本人にはなんのこっちゃサッパリ具体的に理解できないだろうと思うけれど、こんな組織があるのはフィリピンだけらしいので心配ありません。私も理解するまでに相当かかりました。

 少し説明すると、つまりは、選管が開票作業をやっている現場(たんなる小学校の教室。だれでも入れるのがすごい)に監視員が入り込んで開票作業を見届け、結果をナムフレルの特設本部になっている左派系大学の体育館に携帯メールで送る。そこで独自に集計し、発表するのだ。

 全国の開票所に20万人の監視員を投入するわけだから大変な組織運営になる。こうして選挙結果は必然的に2通り出ることになり、おまけにナムフレルが政治的に純白の存在なわけはさらにないので選挙の結果をめぐってはややこしい攻防が選挙後も続く。

 投票方式もややこしい。日本のように候補者1人を書くのではなく、議員の定数分(議会の定数が33人なら、33人の名前)を書かなくてはならない。すごいでしょう。これを総選挙では大統領・副大統領・国会議員・州知事・州副知事・地方自治体首長・地方自治体副首長・地方議会議員いっぺんにぜんぶやるからモウめちゃくちゃになる。投票用紙だって、日本のような「紙片」ではなく、レポート用紙みたいなでかいものです。

 取材していても追いきれるものではなく、開票作業も1カ月かかってみんないいかげん選挙期間中だということを忘れだします。で、ようやく結果が出たらそれをめぐってデモが起き、みんな半信半疑のまま大統領が就任し、国が運営されていきます。

 ───こんな選挙汚職しほうだい、問題だらけの選挙も困る。だが、選挙の実態、人間のドロドロした部分がキレイに隠され報じられない日本のようなのも逆の極端でおそろしい。まるで国民すべてが日曜お昼の「NHKのど自慢」の参加者ごときクリーンなものだとでも言いたいかのようだ。

 「閑静な住宅街」ばかり増やしてきた加古川だけど、そこまでクリーンな人ばかりではないと思いますけどね。

投票は義務化したほうがいいのでは

今回拙宅にも知人の創価学会員から投票お願いの電話がかかってきました。そう、たんなる「空しきお願い」でした。学会員が自分の頭で考えて投票しているのかどうかについては、私も大きな疑問を覚える。しかしいっぽうで、学会員くらい一生懸命に選挙に取り組むのは、当然のような気もします。

政教分離といいますが、実際に多くの国で政治と宗教は分離してません。フィリピンなんかあらゆる政治の場面がカトリックですし、アメリカ大統領も聖書に手を置いて就任宣誓をやります。宗教というと日本ではヘンな拒否感がありますが、なんらかの信条のもとに投票しているという点では宗教の信者も無神論者も科学者も同じですわね。日本では政治への興味が異様に薄れているので、組織力のある宗教団体が異様に目立つのではないでしょうか。

 話はそれますが、ペルーの選挙は「罰則付きの義務」です。つい先日大統領選挙がありましたが、日本に住んでいる日系ペルー人でさえも投票の義務を免れない。投票しないと罰金が科せられるので、遠路はるばる投票に行く交通費と罰金とをテンビンに掛け、領事館などに出向くのであります(で、そのあとみんなして路上でふるさとパーティーを開く)。

 日本も投票を義務化したほうがいいのではないかと思います。投票したくないなら白票を投じればいい。

 「無党派層」という言葉が無思慮に使われるようになって久しいですが、投票に行かない無党派層は今回の選挙でも50%にもなります。50%もの人間に対して、いかなる政治的団体も政治的主義も、受け皿になっていないわけです。これでマトモな民主主義の運営はできません。とはいえ、現在当選している議員は現在の制度でトクをしているわけですから、わざわざ自分の首を絞めるような投票の義務化を実現しようとはしないでしょうが……。
[2006/07/15 09:01] 岡本篤 [ 編集 ]

公明党(創価学会)の人って、10年ぶりくらいでも平気で電話をよこすけれど、あれって電話もらった方は、へこむよなぁ・・・こっちは素直に久しぶりの友人の声を聞けた!って思ってるのに、選挙の話だもの・・・「こっちがへこむ」ってこと知ってるんだろうか?
 それに、他人に言われたからって「はいわかりました!」っていうほど、こっちが考え無しの人間だと思われている。ってのも不愉快だ。
今まで選挙に臨むときは、それなりに候補者の公約を読み、自分で考えて投票してきたわけで・・・(それが当たり前だと思っていたから)
 旧友を、へこまして不愉快な思いをさせることが、仏に仕える者のすることなのかなぁ?って、いつも不思議に思っている。
 本人たちは正義・義務・信心としてやっているんだろうけれど「逆効果」だよ。
[2006/07/14 23:00] くまがい [ 編集 ]

ホントに創価学会ってすごいなぁって選挙の度に思う。昔、近所にすんでた学会員の人は選挙前には必ず電話をかけてくるし(普段は全くの疎遠なのに)、今回、尼崎に住む母の同級生はわざわざやってきたらしい。まぁ、これらは毎回の事で、こっちも、またか(完全に逆効果)って感じなんだけど。
今回、新たにすごいなぁって感じたのが神戸製鋼。町内の神戸製鋼社員の方が立候補してたけど、応援に、これも神戸製鋼社員らしい若者達が駆け付け町内を練り歩いていた光景は少し不気味だった。創価学会で神戸製鋼の人はどっちをとるんだろうね〜なんて母と話してたんだけど、この神戸製鋼社員がトップ当選してたからね。組織ってすごいなと感じた選挙でした。個人の考えなんて無いのか、組織に守られて安心したいというのが個人の考えの結果なのか。どっちなんだろうね。
[2006/07/14 18:12] miyuki [ 編集 ]

…続き。 (お金のやりとりがあったかどうかは不明)学会の票をかなりもらって、当選を果たした、ということだ。創価学会というのは一体何なんだろうか?会員本人の自由意志による選挙は、学会員には認められてないのだろうか?中には、その地域の公明党の得票数と会員数との間に差があった場合、反省会なるものまで開かれるとこもあると聞いた。宗教が、これだけ密接にかつ公然と政治と結びついている異常な状態を、誰もおかしいと思わないのだろうか?政教分離の原則というのは一体どうなってるんだ?
[2006/07/14 09:50] [ 編集 ]

今回、公明党(創価学会)の動きなんかはどうだったんだろうか?昨年、僕の住む地域の地方選挙があり、初めてある候補の後援会に半強制的に入れられ選挙の中身を少し垣間見たのだが、人口四千人にも満たないこんな小さな町での選挙でも、平気で候補者本人や後援会長宅に無言電話や怪文書などまわって来ていた。中でも僕が興味を持ったのは、公明党(創価学会)の票をどのように分配するかという話をなんの疑問もなく、平気でしていたということだ。僕が後援会にいたこの候補者は無所属だったが、公明党候補と親密だったらしく、…(続く…)
[2006/07/14 09:17] [ 編集 ]

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