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日本を活気づける処方箋 

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「ネットでも有名」通行止め突破、林道走るオフロードバイク…死亡も 行楽シーズン迎え飯能で苦慮(埼玉新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170802-00010005-saitama-l11



 バイクに乗るという遊びは「危険を楽しむ」という側面があることを忘れてはいけない。

 自転車・サーフィン・スキー・スケートボード・スノーボード・スラックライン・カヤック。じつはバランススポーツと呼ばれるものはすべて同じ性質をもっている。不安定だからこそ自由に動けるからだ。不安定なものを乗りこなすことに人間は強い快感を感じる生き物だ。おそらく2本足で立って歩くことを覚えたからだろう。

 だからバランススポーツの道具は高度になればなるほど不安定だ。自転車のロードレーサーはものすごくハンドリングがクイックだし、スラロームカヤックは初心者は乗ったとたんに沈するような乗り物だ。その不自由さに自分をおいて、そこから圧倒的な自由さを引き出すのが醍醐味なのである。

 ダートを走るバイクというのは、そもそも不安定な二輪車であることにくわえて、不整地というさらに不安定な場所を走ることに特徴がある。また、猛烈なパワーを持ったエンジンを搭載した機械をもちいる。

 人間は強烈なパワーを持つものにあこがれる。おそろしいパワーを手に入れ、制御することを教えるのは人類のばあい父の役割だった。おそろしいパワーとは時代によって火だったりウマだったり原発だったりした。

 この国にはもう父はいない。「安全と安心」の国になった。安全は物理的な問題であり、安心は気分の問題であることくらいすこし考えればわかりそうなものだが、誰もが安全と安心をごっちゃにする国だ。なにひとつ冒険しようとしないすさまじい過保護国家に成りはてた。





 林道ライダーが崖から転落して人が死んだそうだ。

 いい死に方じゃないか。過保護国家では、バイクで山を走るなんてママが怒りそうなことをすると警察が出てくる。放っておけばいい。ほんとうに走りたいならママの手先の木っ端役人など無視して走ればいいのだ。

 このニュースにたいして、さるFacebookのバイクグループに投稿されたコメントを羅列してみる。

「事故があると大変 安全第一」
「死亡事故が起きると警察が動かない訳にはいかないんでしょうな。」
「昔はとおれたよね?いったことあるよー」
「亡くなられた方がいたのは知ってましたがここまで来るともう本格的に走れなくなるかもしれませんね....」
「昨日ナイトランしましたが走れましたよ。」
「管理者がするなってことを平気でやるような方々のせいで、バイク乗りの立場は悪くなっていく。落石の恐れが有るなら近付くべきでは無い。行くなって場所には行くなよ。身勝手な行動すんなよ。」

 安全第一ならバイクなど降りて縁側で将棋でもさしておけばいいのだ。走りたいなら夜でも別の林道でも走ればいいと思う。バイク乗りの立場が悪くなるなどと嘆く必要はない。もとより日本ではモーターサイクルはスポーツとして認められてすらいない。たんなるアホの暴走だという認識だ。生まれた時代が悪かったとおもってあきらめろ。

 身を危険にさらさないと生きてる実感がわかない。危険こそがおもしろい。人間にはそういう致命的なクセがあることくらい、何十年も生きてきてわからんのだろうか。

 「ファイトクラブ」といういい映画があった。コンビニの店員とかサラリーマンとかレストランのウェイターとか、都会のかたすみでしがない日常をおくる男たちが、夜な夜な隠れ家に集まって真剣勝負の殴り合いのパーティをやるようになる。勝負を決するのはどちらかの失神もしくはギブアップ。闘いおわったあとは血だらけで抱き合ってお互いの健闘をたたえあう。

 お互いを殴りあって傷つけあうことで自分と他人の肉体の存在にきづき、生きた気がしない人生におさらばできる。

 たとえば精神的に追いつめられた人は、ギリギリこの世に生き残るためにリストカットをする。ファイトクラブはいわば「集団リストカット」みたいなものだ。傷つけることでようやくまともな人間に戻る。バーチャルだらけの世の中でようやく「生(なま)」を手にいれる。

 恋愛のことをフランス語で「アバンチュール」という。つづりはaventure。そうアドベンチャーのことだ。身体的な冒険はいまや都会には恋愛しか残されていないといっても過言ではない。身が破滅をまねくようなセックスをめざす。

 それ以外に生きてる実感を求めたい人はジムに行ってギリギリまで身体を追い込む。アタマだけ使っていると破綻しそうになるからだ。

 わたしは仮説をもっていて、都会生活で鬱におちいったりするのは、身体を使うクセが付いていない人なのではないかとかんがえている。優秀な経営者には筋トレを好む人間がじつにおおいが、これは論理が逆である。ヒトの身体性を維持するルーティンを持っている人間しか、脳を酷使する仕事では成功できないのだ。

 だからあなたがMBAなどを取得してエリートビジネスマンか経営者などになりたいのなら、その前にスポーツでも生け花でもいい。肉体や身体感覚をしっかりつかうクセが自分に身についているか確認しておいたほうがいい。そうでなければやめておいたほうが得策だ。

 脳だけを使う人間は打たれ弱い。都会での頭脳労働一辺倒によって疲弊し、へたをすると人生を棒に振る可能性すらある。いや、死ぬ可能性すらあるのはまわりを見わたせばわかるだろう。





 人間は危険を求めるものだ。だから人間の社会にはそういう装置が埋め込まれている。スポーツや冒険、芸術など、極限まで追い込む性質を持ったものそういう営みだ。「人間に必要だからやっているんだ」ととらえて、好きじゃなければ放っておけばいいことだ。

 安全安心が好きじゃないやつもいる。言っておくが、世の中を切り開いてきたのはおもにそういう人間だ。

 そういうことに気づいたのでLumberJacksという組織をつくった。とにかく危ないことばかりをやる集まりだ。伐倒をふくむ林業・薪割り・ダートバイク・カヤック・合気道などとにかく一歩まちがえば死ねる可能性のあることしかやらない。

 さいきんはわたしの会社経営がおもしろいため活動を休止しているが、こういう「やらなくてもいいことで命を落とす可能性」に人をさらすと、どんどんメンバーが活気づいてくるのがおもしろかった。

 合気道で死ぬ?と思うかもしれないが、じつは合気道の型稽古はすべて殺し合いの真剣勝負を模している。見た目はのんびりしているが、たんなるポイント合戦の柔道や空手よりよほど根本的な設定が危険だ。

 稽古をしていると、青びょうたんみたいな顔をしたあたらしいメンバーが入ってきて、1年くらい続けているうちに身体性を取りもどしてまともなヒトに返り咲いていく過程を観察できる。ちなみに合気道はさいきん会員が増えているそうで、じつは合気道は「ママに怒られないファイトクラブ」だ。





 ダートバイクで林道を走っているやつは、現代社会ではかなり野生を残している人間だ。数がおおくなれば崖から落ちたり転倒して死ぬやつもでる。確率論だからあたりまえだ。

 脳ミソを脂肪でくるんだようなブタどもの出る幕じゃない。安全安心でクーラーのきいたおうちにすっこんでろ。

 ダートバイク乗りに告ぐ。時、利あらずだ。あまちゃんどもは放っておけ。そもそもまじめに法律など適用されればとことんグレーでしかない遊びをやってるんだ。それくらいの覚悟は最初からもっておけ。警察など全国の林道をすべて封鎖することはできない。そんなヒマでもない。これから日本の林野は人がへって、ますます狐狸の跳梁跋扈する原野になっていくのだ。もうすこし待てばいい。

 林道に行くならできれば1人で行って死ぬ可能性を高めるとおもしろいぞ。こういうムダなことで死ぬやつがどんどん出てきだしたとき、日本はようやく活気づいてきたといっていいだろう。
 




[2017/08/03 04:20] ヤマハ WR250R / ダートバイク | トラックバック(-) | コメント(-)

湿った薪でもどんどん焚こう(ただし工夫して) 

DSCF1259.jpg

 暖かい兵庫県南部とはいえ、薪ストーブが活躍する一年でいちばん寒い時期になりました。

 しかし。

 LumberJacksなんていう薪割りグループをやっていながら今年は圧倒的に薪が足りません。

 原因はこれ。

DSCF1249.jpg
【写真説明】昨年5月の作業風景。これだけやったらこの冬は楽勝──のはずだった。

 じつはこの薪をぜんぶドロボウに盗まれました。だいたいふつうの家の2冬ぶんくらいは余裕で確保していたのですが、ぜんぶ消えた。

 地元の加古川市八幡町で地元の方から公園の木を伐採するよう依頼がありました。広い公園でしたので伐倒・玉切り・割り・積み上げ乾燥まで現地ですませてあとは冬に使うだけの状態にしておいてのですが、冬になってみたらぜんぶ消えていた。

 けしからん輩もいるもんです。この公園は入口にカギがかかるようになっているのですが、どうにかしてカギをコピーしたか、カギが空いている時間にそれとなく持ち出したか、一輪車などで持ち出したかのいずれかであることはまちがいありません。こんな重いものを大量によくも持ち出したものですが、およそ1人に換算してまるひと月くらいの労働を盗まれたわけで、ほんとうに気をつけなければいけません。

 甘く見てました。世の中とんでもないアホがいるもんです。

 てなわけで、今シーズンは薪の備蓄が手薄でして、自宅用の薪を切り崩して販売用にまわし、自宅用としては半乾きの濡れ丸太を切り刻んでは乾かしつつ焚いているような情けないありさまとなってしまいました。





 で、半乾きの薪は焚いてはいけないのかというと、薪ストーブの常識としては「焚いてはいけません。湿った薪は最悪です」ということになるのですが、そうも言っては居られません。ないものはないから焚くしかないのだ。

 というわけで、本日は湿った薪をどうやって焚くか、その経験的目安というのをご紹介しましょう。

 じつは、完全に乾燥した薪が大量になくてもどうにかして薪ストーブ生活はおくれるものなんですね。また、手に入る薪がベストコンディションであるとはかぎらないキャンプなどでも案外役に立ちますよ。





 湿った薪といっても、切ったばかりの薪をいきなり焚く人はいないと思います。さすがに完全にナマの木は燃えません。実際問題としては、割ってから3カ月─半年くらいしかたってないけど、これ燃やしちゃっていいんだろうか。そんな感じが多いでしょう。

 冬から春にかけての作業をさぼってしまい、作業が梅雨や夏ごろまでずれ込むというのがよくあるパターンです。だいたい薪ストーブ生活3─4年目くらいに慣れてきてこういう事態におちいることが多いようです。オレはそうでした。

 まずは使う順番です。

 もちろん薪割り作業した時期が早い薪から使っていくわけですが、中でも地面から離れた部分に積んである薪を使います。地面に近いところに積んである薪と風とおしのいい薪棚の上部に積んである薪とでは乾燥度合いがぜんぜんちがってきます。

 経験的には、日がよく当たる場所に積んである薪より、雨がまったく当たらず風通しがいい場所においてある薪のほうが乾燥が進みます。もちろんどちらも良好な場所が薪棚としてはベストですが、そういう場所はだいたい庭の一等地であって、薪の置き場なんてのはもうちょっと条件が悪い場所が多いものですよね。そういう場所では日当たりより風通しを重視してください。雑草がまわりに生えていない場所は湿気がたまらないのでなおさらよろしい。

 使う薪を選んだらいちど焚いてみましょう。焚きつけはよく乾いた細い薪を使って、温度を上げます。そこに半乾きの薪を投入してみる。たぶん、しばらくすると薪の断面から「シュー」といって水分が泡をともなって出てくると思います。この水分の噴出が5分ていどで消えるようならあまり問題ありません。温度が下がらないように高温を保って焚けばふつうに薪として使えます。

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【写真説明】乾燥の悪い薪を焚き始めると、こんなふうに水分・樹脂分が噴き出てくる。5分で収まるようなら許容範囲。

 5分をはるかにすぎて10分以上もシューシューいってるようなら、その薪はさすがにそのまま焚くのはよくありません。ストーブの温度が上がりにくくなってしまいますので一手間加えます。

 どうするかというと、ストーブのそばに積み上げて熱をかけてガンガン強制乾燥させてください。同じ面ばかりをあてないように、時々薪ホルダーの中で位置を変えながらまんべんなくあたためます。かなり近づけてもだいじょうぶです。ウチのストーブは輻射式(ストーブ本体がモロに熱くなる方式)のストーブですが、本体の20─30センチまで近づけて強引に乾燥させます。もちろん在宅時だけね。ヘンな臭いがしたらすぐに対応できる時だけです。あと、乾いた薪が動くことがありますので、荷くずれしてもストーブに接触しない工夫はしておいてください。

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【写真説明】こんなふうに乾燥させている。時々回してまんべんなくあたためるのがコツ。

 薪は温度が上がるとあちこちに割れが入り、さらに水分が抜けやすくなって薪がカリカリに乾燥してくるのが分かると思います。温度が上がっているとさらに火付きがよくなるので、こうしておいて順繰りに燃料として使っていくわけです。

 こうして強制乾燥させながらなんとか冬をしのぐことができると思います。

 気をつけてほしいのは、どうしてもこういった焚き方をすると煙突が詰まりやすいということです。薪ストーブでいちばん怖いのは煙突火災です。煙突の引きが悪くなってきたような気がしたら詰まってきています。すぐに煙突掃除をしてください。





 以上は未乾燥の薪を焚く方法ですが、さっさとあきらめて乾燥した材木を工務店や材木屋さんからいただいてくるのもいい方法です。建築廃材は完全に乾燥していますから、あっというまに高温になります。半乾きの薪と混ぜて焚けば多くの場合は問題なく冬を越せると思います。

 半乾きの薪を強制乾燥させる場合、大割りの薪をもう一手間必要ですが半分以下に割ってしまうのも手です。体積あたりの表面積が圧倒的に大きくなりますので、乾燥がぐっと早まります。

 薪ストーブも薪も、どっちみちアナログな道具です。完全に乾燥した薪を買って焚いている人は何も考えずにすんで便利かもしれませんが、いつまでたっても焚くのは上手にはなりません。つぶしが効かない。

 前年にちょっとサボってしまったら、あきらめましょう。残念ながら取り返しは付きません(笑)。あとはこれをチャンスと考えて、工夫して焚いて生活できればいいのです。湿った丸太がシーズン途中に手に入ったときなどにも役に立ちます。スキルアップの機会と考えて、まあなんとかかんとかしてしちゃおうじゃないですか。



[2017/02/05 23:19] 薪割りノウハウ | トラックバック(-) | コメント(-)

誕生日メッセージありがとうございます 

 冗談ではなく、2─3年前から「おれって40何歳だっけ?」とすでによくわからないときがありまして衝撃をうけています。若いころ、自分の歳がわからなくなっている年寄りを笑っていた自分が心底恥ずかしい。

 昨日たぶん42歳になりまして、ことしもたくさんの方からほしくもない誕生日のお祝いFacebookメッセージをいただきました。

 「きょうは岡本篤さんの誕生日です」とかいうおすすめに乗せられて書くほうはいいんですけど、もらうほうは圧倒的一方的かつ一斉同時に圧倒的大量の低品質メッセージを受け取ってしまうわけで、もうこれはFacebookのおおいなるおせっかい、みんなの善意を迷惑メールに自動変換するシステムでしかありません。

 Facebookは誰かの誕生日にメッセージを送ろうとする人にたいしては

「岡本篤さんはきょう大量のお祝いメッセージを受信する可能性があります。あなたのメッセージはそれほどの価値がありますか?」

とちゃんとダイアログを表示してほしい。みんな卒然と悟り、私への新しい仕事のオッファーとか気分がよくなるおべんちゃらとか、こんどデートしませんかとか、じつは前から嫌いでしたとか、意味のある書き込みをつけくわえるようになるはずだ。

 古い友達はだいたいわたしの性格を知っているのでメッセージをよこしてこないのですが、2016年に新しくしりあった人などはわたしのきわどいズボラさを知らないので律儀にメッセージを送ってきてしまう。政治関係の人などはよく知りもしないのに「おめでとうございます」などと選挙活動まがいのメールを送ってくる。さすがに四十づらさげて「あんただれ」とは返事はできないのでまああたりさわりのない御礼メッセージを返すわけですね。

 誰しも齢40もすぎると残りの人生は長くないなとおもう。誕生日は残余の人生にむけて気合いを入れる格好の機会なわけですが、その記念日が来たとたんに大量のあまり意味のない返信メッセージを書くためにまた大事な人生の時間を浪費してしまう。

 これはなかなか逆説的に「ああ、こうやってわたしは死んでいくんだな」と人生の悲哀を堪能できるよくできたシステムなのかもしれません。やるなザッカーバーグ。Facebookのおかげでなるほど人の世は迷惑のかけあいでなりたっているということを今年も知ることができました。

 というわけで、みなさんまた1年よろしくお願い申し上げますてへぺろ。


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[2017/01/12 00:52] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)



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