サッカーはスポーツではない。ほぼ。 

 日本代表の決勝進出がこんなに話題になるとは思わなかった。

 いやまあ、たしかに「正々堂々最後まで死力を尽くして戦う」という観点からすればポーランド戦の終盤は圧倒的に不細工ではあった。

 しかしサッカーはもともとこういうムチャクチャなスポーツなのである。

 バカみたいに広いピッチに審判が少なすぎて卑怯なプレーが見逃されがちという「遊び」が多い。ルールもファウル後の再スタートのしかたとかテキトーすぎるし、ムダなボール回しを禁止するバスケの「30秒ルール」みたいのもない。得点の少ないゲームなので強いチームがたまたま負けることも多い。逆に圧倒的に弱くてもやり方によっては勝っちゃうことがある。ゴールに手で押し込んでも主審にバレなかったら「マラドーナのゴッドハンド(神の手)」と呼んで喜ぶどころか伝説にまで昇格させて後代に語り継ぐのである。

 無様なスポーツだが、こんな岸和田のだんじりみたいなものにいまさらガタガタ言う方がヤボである。そんなことが気になるなら、サッカーなんか見なけりゃいいのである。他のほとんどのスポーツはもっと正々堂々とルールを遵守して戦っているのだから。



 そもそもサッカーのワールドカップがこんなに盛り上がるのは、このやたらに競技スペースが広くて不安定で、審判が少なく、ラフプレーや反則を許容するところ、つまり弱小国でもイレギュラーに勝つ可能性がゼロではないところに起因するのである。

 「FIFAフェアプレー」という横断幕が大会中に掲げられたりテレビ画面に出たりするが、あれはサッカー特有の風習であって、フェアプレーがここまで前面に強調されるスポーツはない。そんなものふつうスポーツではあたりまえだからである。「ウィンブルドンフェアプレー」とか「世界陸上フェアプレー」がありえるか考えてみれば一目瞭然だ。

 これは、つまりサッカーにフェアプレー精神が欠けていることをFIFAみずからはしなくも公言してしまっているというわけだ。だから「日本代表の今回のプレーはフェアではない」みたいなことを言っている人は、残念ながら的外れなのである。

 FIFAもルールがユルすぎることはじゅうじゅう承知だ。しかたなくビデオ判定員はもうけたが、もっとフェアプレーのためにやれることはあるけれどやっていない。「ゴールラインテクノロジー」も導入されているが、この時代にあんなアホみたいなものを「テクノロジー」などと呼ぶところに圧倒的なやましさを感じないだろうか。

 なぜ不正撲滅をやらないかというと、あんまり正々堂々ガチンコ勝負化すると、サッカーというスポーツの独自性が失われるからだ。

 ラグビーが一部の人にとってたいへんおもしろく、大多数の人にとっておもしろくないのも、あれは「弱いチームは強いチームと100回戦っても1回も勝てない」スポーツだからである。つまり、ラグビーではどんな弱小チームでも100%勝てない相手にたいして正面戦を戦わされる。そういう場合ゲームはいきおい「公開処刑」じみた残酷な場になる。

 そんなスポーツを関係者以外の誰がおもしろがるだろうか。われわれには勝つ可能性が0%のゲームを楽しむ義理などないのである。

 ラグビーは圧倒的に強者の論理で動いているスポーツであり、おもしろいのは強豪国だけだろう。しかしスポーツとはそもそもそういうものである。すっきりしたルールで戦い、はっきりした結果をえてすがすがしい気分になる。うらみっこなし。それがスポーツだ。

 しかし、世界で人気のあるスポーツは「強い奴がかならず勝つ優勝劣敗スポーツ」より「弱いチームでも時々勝てる偶然支配スポーツ」だ。わが国の野球はその典型だし、世界的にはサッカーがその任を負っている。

 今回の日本代表の戦いがぶざまだろうとなんだろうと、現在の実力で正面戦による優勝を狙うことができないいじょう、奇策・偶然・場外乱闘を利してなんとか1つでもコマを前にすすめ、ひょっとすると上位に食い込んでいくしかない。これが弱者の論理だ。

 かつて為末大が世界陸上のハードル競技で天候不順によるスタート延期を味方につけて3位を勝ち取ったように、日本代表はどこまでも狡猾にズルく勝っていただきたい。弱いくせに正面戦に挑んで73年前のように破滅してはいけないのである。



 西野監督は3戦目でスタメンからベストメンバー6人を下げた。これはあきらかに決勝トーナメントまでに代表のレギュラー陣を完全に体力回復させ決勝で結果を残す気だ。ポーランドをセカンドメンバーでもギリギリ引き分けでかわせる可能性があると踏んだら、一気に賭けに出た。

 短期集中決戦のワールドカップでは、他の強豪国といえどもギリギリの戦いのなかで疲弊し傷つく選手が出てくる。屈指の強豪国ドイツが予選敗退し、もうひとつの強豪オランダが出場すらかなわなかったのに象徴的なように、サッカーは流動的なスポーツであり、強豪チームすら小さなイレギュラーで大きくバランスを失って負けるのはめずらしいことではない。

 日本代表がここで6人の温存に成功して決勝進出できればこの「サッカーという競技の不安定さ」を突ける可能性が大きくなる。感動したのは西野監督の采配というより、肝っ玉だ。ふつうFIFAランキング60位の国が、ワールドカップでレギュラーを6人も下げるなんて決断はできない。「おまえワールドカップなめてんのか」という話だ。選手の交代枠は3人しかないから、調子が悪いからといって修正は効かない。これでポーランドにボロ負けしていたら、もう西野監督はボロクソのクソミソに言われ、目も当てられない状況に追い込まれたに違いない。しかし、予定どおりあまり機能しなかったセカンドメンバーたちは、「負けながら薄氷の勝利を得る」という奇跡を起こした。

 今回でワールドカップ出場が最後になる選手がたくさんいるにもかかわらず、よくこんなだいそれた策をやれたものだし、選手もついていったものだと思う。大会直前にハリルホジッチ監督の解任事件が起きて「どっちみち期待されてない」という開き直りが生んだものかもしれない。なにが幸いするかわからず、とにもかくにも世界60位のヘッポコチームの薄い薄い可能性を今のところ西野ジャパンがつなぎつづけている。



 次のベルギーどころか、決勝トーナメントに出ているチームすべてに日本はかならず負ける。正面から戦えば、だ。

 それいがいの戦い方ができるかどうかが、今回のワールドカップの醍醐味になる。気温が35度を超えたり、湿度がムチャクチャ高かったり、どしゃぶりになったり、ケガ人が出たり興奮したロシア人がピッチを走り回ったりしたらチャンスだ。日本サポーターも観客席の掃除とかしていないで、ベルギーチョコレートを溶かして袋詰めにしてピッチに放り込むくらいのことはやっていただきたい。

 ピッチの中の正々堂々もいいが、外のゲームも楽しめばいいのだ。世界でもっとも愛されているスポーツは、もっともスポーツらしくないスポーツなのだから。


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[2018/07/02 01:42] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

ムチャクチャなスポーツはそのムチャクチャさを楽しもう 

 日本代表の決勝進出がこんなに話題になるとは思わなかった。

 いやまあ、たしかに「正々堂々最後まで死力を尽くして戦う」という観点からすれば圧倒的に不細工ではある。

 しかしサッカーはそもそもルールもテキトーだし、バカみたいに広いピッチに審判が少なすぎて卑怯なプレーが見逃されがちという「遊び」が多いし、得点の少ないゲームなので強いチームがたまたま負けることも多い。逆に圧倒的に弱くてもやり方によっては勝っちゃうことがある。ゴールに手で押し込んでも主審にバレなかったら「マラドーナのゴッドハンド(神の手)」と呼んで喜ぶ。

 ようするにムチャクチャなスポーツだということだ。

 無様なスポーツだが、こんな岸和田のだんじりみたいなものにいまさらガタガタ言う方がヤボである。そんなことが気になるなら、サッカーなんか見なけりゃいいのである。他のほとんどのスポーツはもっと正々堂々と戦っているのだから。



 そもそもサッカーのワールドカップがこんなに盛り上がるのは、このやたらに競技スペースが広くて不安定で、審判が少なく、ラフプレーや反則を許容するところ、つまり弱小国でも勝つ可能性がゼロではないところに起因するのである。

 「FIFAフェアプレー」という横断幕が大会中に掲げられたりテレビ画面に出たりするが、あれはサッカー特有の風習であって、フェアプレーがここまで前面に強調されるスポーツはない。そんなもんスポーツではあたりまえだからである。

 これは、つまりサッカーにフェアプレー精神が欠けていることをFIFAみずからはしなくも表示しているわけだ。「日本代表の今回のプレーはフェアではない」みたいなことを言っている人は、残念ながら的外れである。

 FIFAもそこのところは分かっている。しかたなくビデオ判定員はもうけたが、もっとフェアプレーのためにやれることはあるけれどやっていない。「ゴールラインテクノロジー」も導入されているが、この時代にあんなアホみたいなものを「テクノロジー」などと呼ぶところに圧倒的なやましさを感じないだろうか。

 なぜ不正撲滅をやらないかというと、あんまりガチガチに正々堂々化すると、サッカーというスポーツの独自性が失われるからだ。

 ラグビーが一部の人にとってたいへんおもしろく、大多数の人にとっておもしろくないのも、あれは「弱いチームは強いチームと100回戦っても1回も勝てない」スポーツだからである。逆にいえば、ラグビーではどんな弱小チームでも100%勝てない相手にたいして正面戦を戦わされる。そういう場合、ゲームはいきおい「公開処刑」じみた残酷な場になる。

 そんなスポーツを関係者以外の誰がおもしろがるだろうか。勝つ可能性が0%のゲームを楽しむ義理などないのである。

 ラグビーは圧倒的に強者の論理で動いているスポーツであり、おもしろいのは強豪国だけだろう。しかしほかのほとんどのスポーツというより、スポーツとはそもそもそういうものである。

 だからこそ逆に、多くのスポーツの中で「強い奴がかならず勝つ優勝劣敗スポーツ」より「弱いチームでも時々勝てる偶然支配スポーツ」のほうが圧倒的に人気があるのだ。



 日本の戦いがぶざまだろうとなんだろうと、現在の代表の実力で正面戦で優勝を狙うことができないいじょう、奇策・偶然・場外乱闘を利してなんとか1つでも上位に食い込んでいくしかない。これが弱者の論理だ。

 かつて為末大が世界陸上で天候不順によるスタート延期を味方につけて3位を勝ち取ったように、日本代表はどこまでも狡猾にズルく勝っていただきたい。弱いくせに正面戦に挑んで73年前のように破滅してはいけない。

 西野監督は3戦目で6人を下げた。これはあきらかに決勝トーナメントまでに代表のレギュラー陣を完全に体力回復させ決勝で結果を残す気だ。ポーランドをセカンドメンバーでもギリギリ引き分けでかわせる可能性があると踏んだら、一気に賭けに出た。

 短期集中決戦のワールドカップでは、他の強豪国といえどもギリギリの戦いのなかで疲弊し傷つく選手が出てくる。ドイツすら予選敗退したのに象徴的なように、サッカーは流動的なスポーツなので、強豪チームすら小さな変更で大きくバランスを失うのだ。

 6人を温存すればこの「サッカーという競技の不安定さ」を突ける可能性が大きくなる。西野監督の采配というより、肝っ玉に感動した。しかしこれも大会直前に監督交代事件が起きて「どっちみち期待されてない」という開き直りが生んだものかもしれない。なにが幸いするかわからないものである。

 ふつうFIFAランキング60位の国が、ワールドカップでレギュラーを6人も下げるなんて決断はできない。おまえワールドカップなめてんのかという話だ。そして予定どおりあまり機能しなかったセカンドメンバーたちだったが、薄氷の「勝利」を得た。

 薄い薄い可能性を今のところ西野ジャパンがつなぎつづけている。

 次のベルギーどころか、決勝トーナメントに出ているチームすべてに日本はかならず負ける。正面から戦えば、だ。

 それいがいの戦い方ができるかどうかが、今回のワールドカップの醍醐味になる。気温が35度を超えたり、湿度が高かったり、どしゃぶりになったり、ケガ人がでたりしたらチャンスだ。日本サポーターも観客席の掃除とかしていないで、ベルギーチョコレートを溶かして瓶詰めにしてピッチに放り込むくらいのことはやっていただきたい。

 ピッチの外のゲームも楽しめばいいのだ。しょせんくだらなくてムチャクチャで愛すべきサッカーなんだから。


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[2018/07/01 12:48] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)

われわれはお茶してないよね? 

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 これまで「ようそんなことやるわ……」と言われかねないことにあえて挑んできた。いやはっきりそう言われてきた気がする。

 記念すべき日になった。おととしからはじめた朝市がきょうついに初めて平日の開催にトライしたのだ。

 土曜日の朝0700時からなんの変哲もない県道ぞいの田舎の駐車場でテントを立てて「朝市です」とやってみた。

「よく0700時からやりましたね」

と経営コンサルタントから後日誉められたが、真夏は0800時くらいになると暑さで快適とは言いがたいので早く営業を始めるしかないから0700時になっただけだ。まあ競合はいませんけどそれだけですね。魚のいないブルーオーシャンです。

 ところが案外お客さんがきてくれて3週間で固定客がついて定着。驚いた結果になった。

 あんまり見た目が貧相だったので手近の公共施設に場所を移した。ごぞんじ加古川の文教スポーツ施設ウェルネスパークだ。木陰にかこまれているのはいいものの、これまたこんなスペースがあることを施設の利用者すら気づいていないほどの奥まった砂利の駐車場だった。だれがどう見てもオマケみたいな土地である。これまたそれなりに定着した。

 冬になった。屋外のイベントだし来年春までお休みしますとスタッフは言ってほしかっただろう。

「みなさん真冬でもなんでもやるのです。ほかがやらないからやるのです」

スタッフは「えええ……」と言っていたが、

「寒いからといって市場が休んだら国民が飢えるではないか」

というよくわからない理屈でケムにまいて強引に開催したはいいが、おりあしく数十年に1度というすごい寒さがふきさらしの会場を毎週おそった。シベリア寒気団に対抗して薪ストーブを焚きまくったけど、気温計がマイナス7度を記録した日にはさすがにもうダメだと思った。

 しかしお客さんは寒けりゃダウンとか着てきて楽しそう。あんがい平気なのだった。

 むちゃぶりを続けてきてまもなく1年というところできょう平日の朝市になった。屋外のイベントで平日の朝からやるところなんて聞いたこともない。誰が来るんだ。

「われわれはイベントではなく市場であり庶民の胃袋なのだ。平日こそが本丸である」

とまたスタッフをケムにまいて強引に開催した。まあしつらえは基本的にテントを立てるだけだけれど、出店者のみなさんの売上げが上がらないともうしわけが立たない。

 しかしなんとかなった。きょうはそういう記念すべき日だ。



 会場に来た義理の妹と朝食を食べる。彼女の肩ごしに子育てママたちが談笑しながらお茶を飲んでいる。

 不思議なものである。しゃべっている間は人々はお茶の味なんかほとんど認識していない。「このコーヒーおいしいやん」とか言ってるのは最初だけ、あとは一心不乱におしゃべりをつづけている。どうみても主食はおしゃべりで、コーヒーや朝ご飯なんか添え物よくいっても演出材料でしかない。

「なあ、なんでしゃべるのが目的のくせに、人は『お茶しよか』とか『飲みにいこか』ってもってまわった誘いかたをするんやろな。『しゃべりに行こう』と素直にいわんのやろ」

「うーん、おしゃべりはどこに行っても自然についてくるからじゃないですかね」

 なるほど。さすがわが妹はいいことを言う。たぶんそうだ。しゃべるのはあたりまえのことで、それをあえて目的に持ち出さないでもすんできたのだ。

 しゃべることがコミュニケーションと言いかえれば、いまやLINEやFacebookのメッセンジャーやiMessageやSkypeをつかって、地球の裏側の人とも今すぐにはじめることが可能だ。ポケットから端末をだすだけでいい。テキストも顔文字もビデオチャットもやりほうだいだ。

 すでに20世紀の人が夢にみたような世界に突入している。だけど夢に見た世界の到来は、自分がアフリカ人とコミュニケーションする機会はたいしてないんだなということを大多数の人にとって再確認させただけに終わっている。



 それでも人は人と会って話そうとする。

 コミュニケーションの価値やハードルは下がった。しかしおもえば対面コミュニケーションの価値は逆に上がった気がする。コミュニケーションのハードルがさがったのは電子通信によるものだけだ。直接会って話すというのはおかげでかえってひじょうに特別なことになってきた。

 音楽がストリーミングサービスやYouTubeで聴き放題に突入して、かえってライブのコンサートが盛況になったのと同じである。

 朝市というのはあんがいそういう超スペシャルな場所なのかなとおもう。



[2018/05/16 23:44] よもやまコメント | トラックバック(-) | コメント(-)